社会的企業/NPO/協同組合とか、その辺のこと



http://d.hatena.ne.jp/dojin/20080210/p1
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20080210
http://totutotu.seesaa.net/article/83448488.html


 dojinさんにトラックバックを貰ったので、少し。
 自分は、lessorさんやとみたさんのように学問的にNPOを勉強しかつ自分で法人を立ち上げ日々地道に運営しているわけじゃないし、dojinさんのように学者的に研究しているわけでもないので、以下はたんに直感的なものだけど。まとまりもなく、だらだらと。


 色々教えて下さい>皆さん


 ちなみに自分は、障害者サポートのNPO法人(療育ねっとわーく川崎サポートセンターロンド)で働き始めて5年目で*1、また、2007年1月に友人・仲間たちと有限事業責任組合(LLP)フリーターズフリーを立ち上げ、雑誌の発行と出版プロダクション的な活動をしている(地味ですが…)。


 ぼくの関心は、社会的企業NPOもそうだけれども、「協同」という「働き方」に(も)ある。協同組合とは、働く人自身が、協同出資・協同経営・共同労働を行って運営する事業体のこと。歴史的にも法的にも色々あるけど、今は飛ばす。もちろんNPOでは、使用者/雇用者の賃金労働関係があるので、形式としては協同組合ではない。でも、ぼくの勤め先の運営形態は、たとえば合議制をできるだけ尊重したりと(まあ色々ボトムアップ式ゆえの問題も絶えないんだけど)、協同組合形式になんとなく近くもある。(そもそも、協同って、法的形式というより、内部的な働き方の問題が大きいし。)もちろん、どちらの場合も、活動の対象となる「社会的問題」が先にあった。しかし、その「社会的問題」に関わることが、自分たちの活動の仕方や働き方にも何らかの影響を与えてきた(FFが任意団体ではなくLLPでやっていくと決めたのは、結構あとのこと)。


 LLPの法的根拠は「有限責任事業組合法」にある。新会社法(2006年5月)から、作れるようになった。必要なお金は登記料の6万円プラス、組合員一人あたり1円以上の出資。最速約10日で設立可能。株式会社と違い、取締役・監査役の設置、公証人による定款認証などはいらない。書類作成も、それほど煩雑ではない。総じて、起業はやりやすくなっていると。株式会社も設立しやすくなった(福祉系の事業所でも、迅速な対応と機動力を重視するなら、株式会社の方が便利だったり)。
 細かい話は飛ばすけど、LLPの特徴は、(1)有限責任、(2)内部自治(協同性の要件)、(3)構成員課税、の三つ(この辺→江戸川[2005]、生田+大澤+栗田+杉田[2005])。大切なのは、「協同性」。LLPでは、内部自治が原則とされる。運営の方向や売上げの配分その他の決定事項を、組合員の合意によって決めていく(ただ、LLPって、構成員課税があって、企業のサブプロジェクトのためのタックスシェルター的な役割を担わされている面もあるので、この辺は微妙でもある。もともと経団連が提案したものだし)。


 超大雑把にみると、19世紀にアソシエーション系の大波が来て、19世紀末から20世紀前半に変質・凋落し、再び20世紀後半に広義の「アソシエーション」的組織が一定の勢力を成してきた、と整理される(田畑他[2003]、松尾[2001])。もちろん色々、内外からの批判もあるけど。「グローバルなアソシエーション革命」の理論的リーダーの一人レスター・サラモンも、手放しで褒めてないし。(確かサラモンの調査研究って、非営利セクターから、協同組合は除外していたんじゃなかったっけ。1990年代後半のドゥフルニなんかの共同調査では、「協同組合」「非営利組織」「社会的企業」をあわせて、「第三セクター」と呼んでいる。)


 理念的には、FFはむしろ、1980年代の生活協同組合系の主婦層の、介護や仕出弁当などを中心とするワーカーズコレクティブなどの実践を、暗に参照してきた(メロー他[1988]、宇津木[1994])。
 編集者系の共同組合ってそんなに知らないけど…。ワーカーズコープアスランhttp://www.aslan-w-co-op.com/)とかくらい。
 まあ、上野千鶴子門下の阿部真大さん([2007][20070818])とかなら、無責任な「スローワーク」と批判されるんだろうけど。(一部のワーコレの現状とか考えると、分からんでもない。労働組合からすれば許しがたい慈善系NPOとかも多すぎるし。ただ、社会的企業NPO/協同組合ふくめて、地道な積み重ねや実験が歴史的にあったわけなので、それらを十把ひとからげにして批判するのも、ずいぶん乱暴という気もする。)


 あとマルクス系のアソシエーション/非営利協同論を何冊か読んだけど(田畑[1994]、大藪[1996])、自分たちの活動とのプラグマティックな接合面がどの辺りにあるのか、今のところはまだよくわかりません。もうちょっと勉強します。


 この手の団体は、いわゆる一般企業(株式会社など)に効率性とか生産性(?)で負ける――株式会社に転化するか破綻もしくはボランティア団体化する、って言われる。吉原直毅さんの[2006]もそうかな(吉原さんのはむしろマクロな「アソシエーション社会」=「高次のコミュニズム社会」への批判だけど)。まあ、これは最初期から言われ続けてきたことでもある(「オッペンハイマーの法則」/マルクス『フランスにおける階級闘争』/ルクセンブルグウェッブ夫妻等)。マルクスも『経済学批判』『資本論』の前、一八五一年から五二年頃には協同組合を批判していたし。
 だから、夢見がちな非営利協同=アソシエーショニズムではなくって、もっと現実的で市場社会主義的(?)というか、ちゃんと市場経済の中で生き残れるタイプの社会的企業を、っていう流れなのかな。「運動としての社会改革から事業体としての社会改革へ」と。(単純すぎるか?よく知らない。)
 レスター・サラモンの本では、大雑把にいうと、1980年代アメリカのレーガン時代に、「補助金削減・小さな政府化+民営化・社会的企業化」の流れか「政府と非営利セクターのリレーションシップの再構築」の流れか、という対決があって、結局前者が勝った、と整理される。細かい数値はdojinさんのページ参照。日本も現在、大勢としては、こういう方向に傾斜しつつある感じ。山内直人とか本間正明とか?(ちゃんと現物を読んでません…。)


 しかしこの辺、どうか。よくわからなくもある。
 働く人の側の意欲の内実とか、「日の当たらない」非市場的ニーズへの重点的なサポートの意味とか、「制度の相談」以前の「相談」の意味とか。
 そういうものが活動の背骨、という感じなので。
 どうも、市場経済/非市場経済とか、内部経済/外部経済という分け方だと少し的が外れてくる気もします。
 今の法人では、たとえば障害児の親がヘルパーになったり、いざというとき助けてくれたり、それらが総体的に対社会的・地域的な信用になったり。それに多彩な障害者がなんとなく入り混じって働いている。「障害者雇用」、という感じですらなくって。CP者、知的障害者アスペルガー、筋ジス、脊損、精神障害者、等など。これらが全体の経済活動(市場的/非市場的な)を支えているわけで。効率性から言えば微妙。そういう「大地」の上に、介護報酬単価とか地域支援事業などの事業部分が乗っかっている。北海道浦河のべてるの家だって、日高昆布の生産・販売や本・ビデオの売買に、商業的に成功したこと「だけ」が大事じゃないわけで。それを支える色々な関係性や社会性があって。いや、これは「お金にならないもの、目に見えないものが大切」という意味ではなく。
なんというか。
 ソーシャル・キャピタル社会関係資本)という言い方もあるけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB
 有名なのは、パットナムの『哲学する民主主義』『孤独なボウリング』とか、かしら。長期に渡って地域に蓄積・形成されてくる信頼・規範・ネットワーク(のストック)としての社会関係資本。これが一方ではただ乗りを累積的に生み出す悪循環へ至り、他方では相互信頼を累積的に強化する好循環を生み出したり。文献は山ほどある。だいぶ計量化もされつつあるらしい。これも勉強しないと…。


 で、興味があるのは、《社会性》が拡張されていくこと。たとえば一九八〇年代のレイドロウ報告以後のワーコレでは、女性・主婦たちが働く場所を自分たちで創出し、家事・育児・介護などのアンペイドワークの社会化が目指された(宇津木[1994])。ダラ・コスタらのアウトノミア運動、あるいは日本の第二次主婦論争でも「家事労働に賃金を」と言われた。マリア・ミースなんかは読んだけど、フェミニズム経済学についてはよく知らない(どなたか教えて下さい)*2。コレクティヴってリブの用語だし。もとは生活協同組合(消費者組合)との関係も深い。たんに家事労働を賃労働化したのではなく、広い意味での〈社会化〉、っていうのか。べてるもそうだし。CIL系の身体障害者が自分たちの「障害」を事業化し、ALS者が「難病」を事業化(サクラモデル)したりとか。障害者・難病者が自分の身体・障害・病を「資本」と化してきたわけで。
 この辺きちんと勉強・分析して、今後に役立てていきたいです。自分の職場も、べてるやだめ連についても。


 明るくカッコいい(ように見える)社会企業家の人々から、見習うべきところは大いにある、と思う。ヤマト運輸/スワンベーカリーの故小倉昌男さんとかも。(ただ、lessorさんは以前から「障害者支援で言えば、とにかく話題になるのは「障害をもつ人がこれまでにできるとは思われていなかったような仕事をして、しっかり稼げている作業所」ばかりだった」ことに否定的で、それもよく分かる)。「運動ではなく事業による社会問題の解決」をいうフローレンスの駒崎さんの言葉も、ある部分では、いわゆる小泉純一郎ホリエモン節に、ぐっと似てくる。既得権益(とされるもの)を批判し、返す刀で自分たちの社会的事業活動を価値づける。まあ、フットワークも軽そうだし、カッコいいわけです。実際、ニッチ的な領域に、経済と生活ニーズの好循環を生み出していますしね。中流以上の、働く女性をターゲットにしているんだろうけど。
 これに対しlessorさんは《「日の当たらないところ」は「ニッチ市場」と同じなのか》と、微妙だけど大事な疑問をのべる。
 この流れで行くと、「ニッチ」にはまだ市場経済を流し込むことが可能だけど、確かに「日の当たらない場所」はどうなるんだろうね。lessorさんの知的障害児者の地域支援とかね。僕らでいえば重症児とその家族の介助とか。今後は重症児/障害児福祉の民営化がぐっと進むだろう(川崎市、今、凄いことに)。他の収益部門で多めに稼いで(滴り落ち的に?)、それを回すしかないのかな。福祉経営とか小規模多機能型なんて、スローガン的に言われるけど、そんなにうまくいかないし。福祉バウチャーなんかも、現実的にはどうなんだろう。


 dojinさんもlessorさんも心配するように、一部の社会的企業家の華やかさに衆目が集まり、結果的に、マクロな水準では、福祉の厚みが削られていくっていう方向へ、現実的には進みそう。しかし新自由主義って、こういうものじゃないだろうか。対立点が分かりにくく、敵対すらできず流されていくっていうか。
プラグマティックには、dojinさんの↓この辺につきるんでしょう…。(一時期よくあった、社会福祉法人の社会的役割は終った、これからはNPОや民間事業所だ、って風潮は、どこへ行ったんだろ。)

 《私が危惧するのは、アメリカに比べて格段に寄附市場が脆弱な日本において、レーガン政権の真似事(政府補助金の削減と寄附市場の拡大戦略)を採用すると、アメリカで起きたようなNPOの商業化やサービス対象者の上方シフトなどが日本でも生じ、日本の対人・福祉サービスは深刻な影響を受ける(受けている)のではないか、ということだ。もっとも、日本的文脈では、このような現象は、「小さな政府化」が、NPO法人というよりも社会福祉法人などの運営により強い影響を与える段階で生じるものなのだろうが。
単純な「小さな政府化」による「補助金依存からの脱却」よりも、政府の財政的援助のあり方を抜本的に変えていく道を模索し、サラモンのいう「非営利組織の強い独立性と自立性の確保と、政府による十分な法律的及び財政的援助の提供の共存様式を見つけること」を模索することが、今の日本には必要なのではないか。(これは障害者運動のモデルそのものである。)》
 《意欲も能力もあるかっこいい社会企業家がたくさんいて、それぞれの社会的企業がそれぞれの最適解を実現しているにもかかわらず、様々な社会問題の当事者の数やその状況は改善するどころか悪化しちゃって(あるいはあり得た他のよりよい選択肢を逃して)さらなる社会的企業が要請される、という「合成の誤謬」が発生することは望ましいことではないよなぁ、などと考えてしまうのである。》



 まあともかく、ぼくなんかは不勉強で、dojinさんが批判的に仰る通り「まだまだ構想段階のアイデアにすぎず、そこに至るまでに(マクロな)課税と再分配をどう再構築していくかについての議論は薄い」ので、当面要勉強ですね…。


(◆)現実との接合面はまだ分からないけど、他方で、アソシエーション的な交換がどこまでいけるのか/いけないのかは、今後もちゃんと考えてみたくはある。後期マルクスのアソシエーション論の以前にも以後にも、生産協同組合を機軸にした社会主義運動は、無数にあった。しかし、山城むつみ[1999]が強調するところでは、マルクスの協同組合論のポイントが、それを商品交換の変革へと理論的に結びつけたことにある。協同組合の社会的意味を全面化するには、市場経済=商品交換のあり方に具体的に切り込まねばならない、と(山城氏の『ゴータ綱領批判』解釈には、ぼくは今少し異論を持つが、それは別の場で書こう)。「協同組合=賃労働の揚棄」という論の明快さに対し、山城さんも(2)の「商品交換を揚棄」(!)する交換のあり方については――地域通貨LETSに若干ふれるだけで――具体的には取り出せていない。しかし確かに、協同組合運動の中のある部分は、政治レベルの再配分のみならず、生産・流通・消費のシステムの改良をめざしてきた。初期の生活クラブ生協(1965年〜)は、流通の自主管理を目指している。先進国の消費協同組合+第三世界の生産者協同組合のアソシエートはよくわれるし(柄谷[2001])、山城は生協+地域通貨(LETS)のアソシエートを考えている(柄谷+山城+西部+市田[1999])。


阿部真大[2007]『働きすぎる若者たち――「自分探し」の果てに』、生活人新書
◆江戸川泰路[2005]『日本版LLPのつくり方・運営のしかた』、日本実業出版社
生田武志大澤信亮栗田隆子杉田俊介[2007]「巻頭セッション“生”を切り崩さない「仕事」を考える」、→有限責任事業組合フリーターズフリー[2007]
稲葉振一郎松尾匡+吉原直毅[2006]『マルクスの使いみち』、太田出版
本田由紀阿部真大湯浅誠本田由紀編『若者の労働と生活世界』をめぐって」[20070818]、図書新聞2007年8月18日
柄谷行人[2001]『トランスクリティーク』、批評空間
◆「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議[2007]「「協同労働の協同組合」法制化を求める9.15市民集会」チラシ、→http://www.roukyou.gr.jp/18_event/2007/2007_08_1.htm
◆メロー、メアリ+ハナ、ジャネット+スターリング、ジョン[1988]『ワーカーズ・コレクティブ――その理論と実践』、佐藤紘毅+白井和宏訳、緑風出版
松尾匡[2001]『近代の復権――マルクスの近代観から見た現代資本主義とアソシエーション』、晃洋出版
◆中西正司+上野千鶴子[2003]『当事者主権』、岩波新書
◆大藪龍介[1996]『マルクス社会主義像の転換』、御茶の水書房
◆田畑稔[1994]『マルクスとアソシエーション――マルクス再読の試み』、新泉社
◆田畑稔他[2003]『アソシエーション革命へ――理論・構想・実践』、社会評論社
◆宇津木朋子[1994]『仲間とはじめる「会社」プラン――ワーカーズコレクティブ入門』、緑風出版
山城むつみ[1999]「生産協同組合と価値形態」、→『批評空間』1999?-23
◆横尾良明[1998]『事業協同組合のつくり方と運営一切』、日本実業出版社
◆吉原直毅[2006]「市場社会主義はアソシエーションにパレート優越する」、→http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/rousou/ronsou12.htm

*1:療育ねっとわーくの成り立ちは、1997年、重症心身障害児とその家族のファミリーサポートから始まっている。当初メンバーは4名。日本は家族福祉の傾向が強いのだけれども、特に川崎市は入所・短期入所の施設が極端に少なく、重症児に至っては皆無で、家族は長い間、在宅で厳しい介助生活を強いられてきた。行政の支援や制度の届かない子どもたちと家族を支えること、それが活動の理念としてあった。その後2001年から、ホームヘルプ事業もスタート。規模も拡大し、様々な人々が関わるようになっている。ぼくは法人設立時のメンバーではなく、途中から飛び込んだだけ。

*2:最近、主流派的な環境経済学関係の入門書を数冊読んだ。非常に面白い。ラディカルフェミ系の家事労働・介護労働論もまた、この手の分析で経済学的に基礎付けられているんだろうな。要勉強。誰か代表的な本を教えて下さい。足立眞理子さんの論文も読まねば…。