障害者/介護労働者/フリーター

 「ある知的障害者の共同作業所・グループホームの職員から「ヘルパー事業所で働く人間」の立場から何かしゃべってほしいと依頼があった」件について。
 昨日今日と、サポートの合間に、草稿を練る。
 短い時間の発表でもある。「障害者福祉のグランドデザイン案は介護労働者のグランドデザイン案でもある」「介護労働者=フリーターのいちフロンティア」云々というワンアイディア(極論)で、今回は押し通すつもり。


 昨日『子どもがニートになったなら』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881526/hatena-22/ref%3Dnosim/249-4212277-7609968)等を読み、改めて感じたのだが、「正規職員・ニート・フリーター」というラインだけで考えるのは、そろそろ苦し気だ。
 浅薄な流行がどうのの話じゃない。一つの概念で掴んだ真の「問い」は、饒舌な流行と消費が終り、関係者みなを疲弊と燃え尽きが常態として覆いつくしてからようやく始まる、験される(斎藤環は、「社会的ひきこもり」というタームを自分が広めたことの功罪と責任を負い続ける、「みんな飽き」て「まだやってるよ」という風潮が大勢を占める中でも初源の問いと責任を貫徹する、という覚悟を述べている)。
 野宿者やひきこもり、女性労働者の問題をそこに組み込むのは当然であり、ある協同プロジェクトとして後日全面的に展開する予定だが、前にも述べたけど、ぼくらが生きる労働環境の現実を、もう一度、労働者/介護労働者/障害当事者の雇用状況を串刺しにし、「別の」角度から照射する試みに、今後は淡々と(不可避な時間と蛇行を通して)着手したい、と思った。

読書

 篁一誠『子どもとの接し方10章』(社会福祉法人横浜やまびこの里)
 http://ww3.tiki.ne.jp/~teppey/osusume2/kodomotonosessikata10syou.htm
 自閉症者との接し方について。「自閉症者への対応はこういうもの」という一般論に収まりきらない視点が幾つもあり、眼から鱗がぽろぽろ。


 以下、並行読書中。安価な本ばかり・・。
 

 
「多動性障害」児?「落ち着きのない子」は病気か? (講談社+α新書)

「多動性障害」児?「落ち着きのない子」は病気か? (講談社+α新書)

 
人格障害かもしれない (光文社新書)

人格障害かもしれない (光文社新書)