新刊『宇多田ヒカル論』刊行その他



 2017年もどうぞよろしくお願いします。
 本年も地道に、地味に、精一杯の仕事をしていくつもりです。


 今月末(30日)に新刊が出ます。
 一生に一度だけ、書くことを許される種類の本だと思います。
 誤解を招くかもしれませんが、本書の主題は愛よりも恋だったのか、という気が書き終えた今はします。それがどんなに自分に似つかわしくない感情だとしても(その意味では『長渕剛論』『非モテの品格』とも連続性があるはずです)。
 もとになるエッセイは「宇多田ヒカルのパッション」というタイトルで二〇〇八年の『無能力批評』(大月書店)に収録されています。何人かの人から、君の書いたものではあれが一番いいね、と言われたことがあります。その意味でも決着的に一冊の本にできてよかった。
 僕は音楽批評の素養が全然なく、そちら方面からの批評は完全に放棄しています。つまりこれは「詩人としての宇多田ヒカル」の批評です。宇多田ヒカルという人は、たとえば中原中也伊東静雄谷川俊太郎などと比較されるべき存在であるように僕には思えました。
 担当編集者は『長渕剛論』と同じ梅山景央(九龍ジョー)氏です。
 今回もサブタイトルを梅山氏が付けてくれました。カバーのデザインも、長渕論の黒と宇多田論の白のコントラストが素敵だな、と感激しました。
 梅山氏が「これは杉田さんが思っている以上にとてつもない本ですよ!」と言ってくれているので、きっととてつもない本ですこれは!


 ◆◆(6冊目)『宇多田ヒカル論――世界の無限と交わる歌』(毎日新聞出版




 追記。2016年は『長渕剛論』『非モテの品格』の2冊の単著と、立岩真也氏との共著『相模原障害者殺傷事件』を刊行しました。また上記の『宇多田ヒカル論』が2017年1月に、限界小説研究会編『東日本大震災後文学論』(僕は200枚の高橋源一郎論を書いた)が3月に刊行予定で、それらの作業は2016年末で終わっています。それから『もののけ姫』論(合計250枚ほど)+『風立ちぬ』論(70枚ほど)を文芸誌に発表したので、そのうち(あと150枚ほどの『千と千尋』論を書いて)宮崎駿論続編として一冊にまとめられたら、と思っています。それと「ゲンロン」04号掲載の「ロスジェネの水子たち」(55枚)も僕にとっては大切な原稿で、続きをちゃんと書く予定です。そんな感じで2016年は、僕なりにそこそこ頑張れた気もしますが、体感としては「新たな地平を切り開いている」というより、5〜6年スランプだった時に書き溜めてきたものが、たまたま一斉放出されている、という感じです。むしろ停滞感が強いくらい。自分の書き方を根本的に革める、そんな仕事の方法を模索しようと考えています。ひとまず、春に『ジョジョ論』、夏に『戦争と虚構』(仮題)が出る予定です。こちらもよろしくどうぞ。