【メモ】現代思想『フリーターとは誰か』(二〇〇五年一月号)

 ●渋谷望*1は、「圧制的」な排除と「嫌悪的」な排除、の二つを区別する議論――アイリス・ヤング、ジョエル・コヴェル――を紹介している。
 前者は隷属や強制労働を伴う直接的な支配で、言語的に意識された、明瞭な差別である。対して後者は、言語化以前の、感情におけるきわめて曖昧な領域の差別であり、日常生活の中でルーティン化され、身体化された慣習(ハビトゥス)の領域で生じる。現在の排除の形は、前者から後者へと歴史的に移行している。
 人々は倫理的・道徳的なタテマエがあるから、他者をあからさまに排除はしない。でも趣味と日常的慣習の領域――美醜、審美、清潔、快不快など――で、他者の排除を刻々と行う。(「万国のミドルクラス諸君、団結せよ!?」)


 ●《非正規労働や無業といった問題系をめぐる議論は、何よりもまず「地方無業者たち」が見つめている光景から出発すべきなのである。都会のニートやコンビニ・フリーターたちはこうした大きな波の先端で目につく波頭にすぎない。(略)そしてここ二〜三年で明らかになってきたのは、こうした「地方」が東京二三区の北側一体にも染み出るように現れてきたことである。都心内部での南北の格差は急激に開きつつある。そういう形で、東北地方のA高校やC高校を卒業した無業者や非正規労働者たちと、東京圏全体に増加し続けるニートやフリーターたちは直接繋がっているのである。かえってコンビニやIT下請けという働き口さえない地方の惨状の方が、ぼやけた心理主義的説明の霧を吹き払って事態をクリアにする。》(平井玄「亡霊的プロレタリア」*2


 ●下層労働市場は、「履歴書のいらない仕事」「保証人のいらない住宅」を提供することで、下層労働者を回収してきた……。
 単身男性であれば、寄せ場飯場、建設土木の日雇労働、斡旋業者を介した工場派遣労働者、新聞勧誘やパチンコ店など。単身女性・子連女性であれば、風俗産業や一部の旅館・ホテルの従業員など。また外国人労働者。(西澤晃彦「貧者の領域」)


*1:渋谷さんの『魂の労働』ISBN:4791760689、福祉労働論やフリーター論を考える上でも必読書だと思います。

*2:平井さんのこの文章は、「フリーター」「ニート」などを外側から名づけ「食い物」にしている人々への怒りから始まる。村上龍玄田有史も例外とならない。