今こそ支援費の検証を!(例えば移動介護の問題)

 ヘルパーに関して支援費のいちばんの特性は?といえば、<移動介護>と呼ばれる部分にあると思う。
 介護保険には基本的に移動介護はない。
「社会参加」を理由に、ヘルパーを使うことが認められた。ここ2年で、街中で障害当事者、特に知的障害の人と出会う機会が皆さんもすごく増えたんじゃないかと思う。素朴にこれはすごいことだなあって感じる。


 でも、この移動介護の部分は、今後は縮小されていく流れにある。
 制度名をいうと煩雑な話になるが、「行動援護」「日常生活支援」(いわゆる重度の人々が使うもの)「移動支援事業」、とわかれてゆく。
最後の移動支援事業が、一般財源の部分で、各市町村(ぼくらの場合川崎市)の独自性が強く出る部分。
 とはいえ、正直、現状ではまだまだ見えない部分が多くて、今後どうなるか、全然わからない。ヘルパー事業所の側も、いろいろと混乱している。


 個人的には、移動介護が当事者の方々に本当の意味で必要なのか?を一度きちんと検証することが必要じゃないかって思う。
 事業所としては中々それは言えない。ヘルパーの役割は、どの部分に本当に必要なのか?ときちんと問い直す必要がある。個人的には、別のプロジェクトと関係して、川崎市全域を対象にした当事者とその家族の方々へのアンケートを企画しているのだが・・・。そうやって《譲れないもの》をはっきりさせていかないと、「財源がない」という一言で何もかもがなし崩しにされ、支援費の成果なんかもなかったことにされてしまう。(そう、支援費に関してはろくに検証もされていないのだ!)


 これはぼくの個人的な意見なのだが、例えば、川崎市全域の当事者とその家族の人々にアンケートを取った結果、「別に移動介護での外出支援なんてそんなにいらないよ」とか「支援費だとお金も取られないし、使えればいいな程度の気持ちで使っていただけだよ」とか「他のサポートの方がもっと必要だよ」とか、そういう声が大勢を占めるならば、当事者の本当の生活上の必要に沿って、たとえばホームヘルプ事業所などもその部分から撤退していくのがスジだろう、と思う。辛いけど、それは仕方ない。(本音をいえば、実際、身介ありの移動介護は単価が高すぎる、という印象はあり、それが事業所を潤わす別種の「既得権」なのかなあ、とも思う。)その結果、ヘルパー事業所が潰れて、ぼくなんかはまた一から就職活動をしなきゃいけないとしても、それはまあ仕方ないかな、福祉業界に関わった人間のそれが責務かな、と。
 ただ、そうではなくて、そこの「社会参加」「移動支援」の部分が本当に大事なんだ、という声が大勢を占めるのであれば、そこの部分はしっかりと「譲れないもの」として押し上げていく動きが必要なんじゃないか。その辺がどうなのか。現在はヘルパー事業所に属する人間としても、切に知りたいところだ。


 「物事を自分たちの立場だけじゃなく、トータルに見ていって、その中で譲れないものをきちんと考えていく」、これは非常に難しい問題で、極め付きに難しいと痛感するのだが、このことがきちんと考えられなきゃいけないし、グランドデザインはぎりぎりの部分ではそのチャンスを含んでいるのかもしれない。
 個人的な信念だが、本当に必要なサービスを本当にきちんと提供すれば、そんなに財源を圧迫しないはずなのだ。
 (「財源ありき」では絶対にない。でもその上で、介護に関わる職員は、自分の足元も公平に見ながら、お金のこともちゃんと考えていかないと。そうしないと、公平さを欠く非常に歪んだ形になっていく。)


 (以上の内容、大意を変えない範囲であとで修正します)