「所得保障」のこと、ザッカン

 今回のグランドデザイン、障害者自立支援法は、「権利」法ではなく、「サービス(費用)」法にすぎない、とよくいわれる。その通りだと思う。
 サービスの「負担」の部分だけでなく、当事者の「所得保障」とワンセットで考えないと理にあわない、とも言われる。所得面での平等が整備されていないのに、サービス負担の平等だけを強調し、当事者に「理解と協力」を求めることの矛盾も突かれる。これもその通りだと思う。
 ただ、当事者の生活をじゅうぶんに成り立たせる「生活費用」はどの程度なのかな。
 障害のありかた、家族のありかたなどでかなりバラバラだろう。「健常者」の生活だってバラバラだから、さらにバラバラだろう。だから厚生労働省なども、全く別のところからデータを持ってきて、障害者の生活にあてはめ、このくらいの費用負担はできるだろう、と考える。当事者の経済生活について、具体的なデータはあまり見かけない気がする*1。障害者の経済状況は、老人に比べてきびしい、とよく言われるが、実際はどのくらいなのか(老人は若い頃からの貯蓄があるし、また介助者は子・孫世代になる、これに対し障害当事者は貯蓄が少なく、介助者も「親」なので介助状況も厳しい、うんぬん)。もちろん、プライヴァシーその他に関わる。だから簡単に考えちゃいけない。さらに、日本の福祉は「家族含み」で、「福祉国家」ではなく「福祉社会」と言われ、アンペイドワークとしての家族介護が安全ネットになっているから、金銭の流れはさらに見えにくいだろう、とも考えられる。このこともひどく難しいと思う。
 ただ、難しさを踏まえたうえで、具体的に、当事者の人々に必要な「生活費用」はどのくらいなのだろう。どのへんがちゃんとした落としどころなんだろう。そこがよくみえない。障害基礎年金の月額が1級82,758円、2級6万6,208円という状況を見直さないといけない、作業所の給料が平均1万円弱なのも素朴におかしい、と言われる。では、どの辺りにこれを上げていくことが不可欠なのか。
 「お金」の問題と「(社会的な)介助」の問題は違う。お金があっても後者が得られないから、困る。後者があっても生活の必要を満たすだけのお金がなく、困る。違うものが、前者に足並みをむりにそろわされようとしている。そこが、素朴に、少しおかしい。
 では、どの辺がおとしどころなんだろう。もちろん「見えない」ままで全く構わないのかも知れないが、とすれば「見えない」ままで、かつきちんと当事者とその家族の必要をきちんと満たせるロジックがどう組み立てられるのか・・。そういう議論がどこかでいるんだろうか・・。

*1:これは杉田の単なる知識不足か?何かデータをご存知の方がいれば、教えて下さい。