移動の自由のこと・・(2)

 最近はとにかくヘルパーに入りまくる。知的障害、自閉症の人の移動サポートが多い。足が棒杭みたいだ・・・。


自発的にそうしているのもある(迷走中で、他に「確実なもの」がよくわからなくなってしまった)。また、中心の戦力の職員が何人か倒れてその穴うめもある(常に誰かしら職員が過剰な労働で倒れている、倒れた誰かが復帰した頃には別の誰かが倒れている、これはかんぜんに構造的パターンとして慢性化している)。


 昨日、「マイライフ川崎」(任意団体)と「ケア・ヴィスタ川崎(川崎市重度障害者の会)」(NPO法人)という当事者団体の、交流会の席にちょこんと同席しました。
前者は脳性まひの方が中心、後者は脊椎損傷の方が中心(でも、ケア・ヴィスタにも脳性まひの方もいるので、単純にうんぬんは言えません)。ともに、結成してまだ数年。これから、じょじょに草の根的な当事者運動をひろげていくようす。川崎市には、当事者運動が本当に根付いていないようで、皆さんも、「他にどの団体に声をかけたらいいかな?」「・・・」「・・・」という感じ。ただ、団体どうしの関係といえども、最後には「個人」(の必要)が原点になるだろうけど。障害のありかた、在宅/入所の違い、介助者の違いなど、みな全然違うわけだし。そのことを、今さらながら、甘くみちゃいけないって痛感したんだった。


 今週の26日、グランドデザインの会(GDP)の学習会が。杉田が調整担当・・。
当事者があり、次に支援者がある。色々あるけど、この順序は動かないし、そのはずなのだが、制度論では時にこの順序がないがしろにされがち、なのかな。厚生労働省の「拙速」を批判する人々が時に鏡写しみたいな「拙速」に陥りがち。そして、この拙速は、細々とした議論(イサカイ)とワンペアになってるんだろうな。
 学習会はお二人のお話が中心ですが、テーマが「障害者の移動の自由とヘルパー」なので、杉田がオマケの資料を作成中。「移動介護は今後どうなるの?」という内容。


 書きながら、ちょっと次のようなことを思ったんだった。

 はっきりは言われないけれど、「国は生活の基本となる食事や入浴などの部分のホームヘルプは負担する、でも余暇活動までふくむ移動介護は税金でまかなえない」という発言が聞かれるし、「国民感情」としてもそういう空気がやはりある。それはおかしい。
 対して、「イベントへの参加や余暇活動も社会参加活動だ」という見解が主張される。「障害者には生存の部分は確保してやるが、外出や余暇活動については自分でなんとかしてほしい」。これは決して「当り前」の考え方ではない。
 しかしその上で、他方で、「遊びだが、それもサポートしてほしい」というシンプルな主張では、ダメなのだろうか。たくさん遊びたい、という意味じゃない。社会参加も遊びも、ふつうの人がごくふつうに行っていることがらであり、両方をごくふつうに支えるサービスがほしい、という言い方ではダメなのか*1
 支援費では移動介護の要件とされた「社会参加」という言葉は、グランドデザイン・自立支援法ではもう聞かれない。短い目でみて移動介護の単価うんぬん、ではなく、障害当事者の《移動の自由》のことは、いまこの時にしっかり考え直されていいのでは、とちょっと感じた。支援費はどうだったの?という検証は手付かずのまま、話がなし崩しに自立支援法に、というか財源の問題にスライドしている(財源の問題はすごく大事だけど――この点、福祉業界の人の甘さは確かにしっかりと検証されるべき)。身体障害者ガイドヘルパーなどには1970年代からの運動の歴史と積み重ねがあるけれど、特に支援費制度とともに「ニード爆発」の生じた知的障害の当事者にとって、移動介護とは何だったのか、何なのか、今後どうありえるのか。もちろん、「三障害の統合」をうたう自立支援法なのだから、いや法律がどうこうということではなく、精神障害当事者にとっての今後のことも、どうなるのか。


 ・・今週は山のように資料を作成しなきゃいけない。次々と仕事が来る。コーディネート部分、ヘルパー部分も次々と。そういう時期みたい。

*1:【後記】ここのパッセージ、修正しました。25日。