アタリマエノ生活

sugitasyunsuke2005-06-17


 ※身近に住む当事者の方々にじかにお話を聞く、という企画の第一回です。インタビューの内容はご本人に許可を得、また写真の掲載も許可を得ていることをお断りしておきます。(杉田)




第一回・佐藤紀喜さん(頚椎損傷)




 ――自己紹介と、佐藤さんの障害について、お聞かせください。


 私は昭和62年、21歳の時にモトクロスという競技で頸髄(脊髄の首の部分)を損傷し、四肢麻痺の障害者になりました。
 その後リハビリを経て就労をめざし、健常のころはおよそ縁のなかったコンピュータ講座に通って、なんとか一般就労できました。
 当時の(今も?)社会福祉の考えでは、「介護は家族がおこなう」が当然で、私自身も亡母に頼って生活していました。でも母の介護疲労が重なって、ヘルパー導入を試みましたが、当時のヘルパーのごう慢ぶりに親子ともども何度もいやな思いをしました。紆余曲折を経ながら、母の疾病をきっかけに、日常生活ぜんぱんにホームヘルパー訪問看護を使いはじめました。そうしていまも在宅生活を続けています。


 頸髄損傷の場合、四肢麻痺(手足の麻痺)になるという程度の理解はわりとされていますが、たんに手足が動かないという運動機能障害だけでなく、感覚障害や直腸機能障害・自律神経障害があるというところまでは、あまり理解されていないようです。
 以下、簡単に症状をあげると――


①運動機能(損傷した部位により大きく異なりますが、下肢だけでなく上肢も麻痺します。)
②感覚障害(胸からしたの感覚が麻痺します(触覚、痛覚等))。
③直腸機能障害(排尿、排便の自力でのコントロールが出来なくなります。)
④自律神経障害(汗をかけなくなり、体温調整が出来なくなります。)


 要するに、日常生活全てにおいて人の手をかりないと、私の生活は成り立ちません。
 よく、「下の世話を人にしてもらうようになる前に死ぬ」などと言う人がいますが、実際当事者になってしまえば、逃げることなど出来ません。


 ――佐藤さんが在宅での生活を選択したことについて、まわりの反応などは、いかがでしたか。


 当時(現在も?)私程度の障害レベル(日常生活動作全介助)で、単身にちかい状況で在宅生活をしている人は川崎市にはいなかったらしく、れいんぼう川崎のショートステイ利用時に、区役所の担当職員から「ここはずーっと入っていられる施設だから」と言われ、即答で「私は家で暮らしたい」と伝えると、「まさかそんな事言うとは思わなかった」との返答でした。
 れいんぼうの担当ワーカー、在宅支援室の方々には「初めてのケースだが、当人の要望なので」ということで、実現にむけ、実働して頂きました。
 「重度障害者は施設へ」という考え方は、先ほどいいましたけれど、今も顕著に残っています。
 いわゆる現場レベルでもいまだにそういった考え方が残っているところへ、今回のグランドデザイン案が出てきたわけです。
 在宅生活を望む当事者や家族、それを支援してくださる事業所の方々などが強い意志を持って「必要なものは必要」であることを訴え続けて行くことが重要だと思います。
 なお、誤解のないよう補足しますが、施設を否定するつもりは毛頭ありませんし、施設が必要な方が多数いるのも承知しております。私自身もショートステイで利用もしてますし。


 ――現在の在宅生活のため、どんなサービスを利用していますか?


 私の在宅生活に必要な人的援助、および住宅改修は、次の通りです。


①起床・就寝時の介助
②家事援助
③入浴・排せつ介助
④就労時、出勤及び帰宅時の介助
⑤薬の処方の為、通院病院の変更(専門病院より地域診療所へ)


 ――ヘルパーのごう慢さについておっしゃっていましたが、事業所のサービスを使うさいに不都合な点は。


 訪問看護は日中だけしか使えないんですね。今まで就労後に行っていた入浴と排便行為を日中にずらさなければならず、訪問看護が来る日を休職せざるを得なくなりました。
 そのために、就労日を、今までの通常週5日勤務から、週3回の勤務体系に変えていけるかどうかを、会社側と折衝しなければなりませんでした。
 幸いにも、雇用責任者の理解が深く、週3日勤務を了承してもらいましたが、当然そのぶん賃金が減り、経済面での負担がふえました。


 ――佐藤さんにとっての「仕事」について、お聞かせ下さい。


 自分のばあい、働いているのは、経済的・金銭的なことが一番です。私は障害者年金をもらっていません。働かないと収入がない。事故の前に国民年金に加入していなかったので。メインはそれですけど、まあ、それだけではありません。それに働くことは当り前、と思っています。もし働かなくても経済的に食べていける状況だとしても、仕事は当然やめません。たまにショートステイに入りますが、一週間何もしないでいると、気が狂いそうになります。社会参加がどうのという前に、ぼくとしては、障害があろうがなかろうが、外に出て働いてお金をもらい、いろんな人と会う、というのはごく当り前だと思っているんで。


 ――グランドデザイン案は、就労支援に特化されていますが、他方に「働けないひとのことも考えてほしい」という意見もあります。これはどうお考えですか。


 働けない障害者でも、普通に当り前に暮らしていいのは、当然です。何度も言いますが、自立支援法はまだ決定事項ではありません。皆さん、なにか、制度をすでに「受け入れ」て、そこから議論している気がします。かりに決定されてしまったら、きちんとべつの支援をつくりだしていくべきです。それがスジです。声があげられない人がいれば、そこは代弁してほしい。


 ――グランドデザイン案障害者自立支援法に関して、「ふつうの生活」「あたりまえの生活」とは何か、がふたたび問い直されている気がします。これは障害当事者だけの話ではありませんが・・。というか、なぜ障害当事者だけが「なぜ働くのか」「ふつうの生活とは何か」と問われなきゃいけないのか、という疑問もありますが。どう思われますか。


 もちろん、それは人それぞれだと思います。私の場合は、先ほど言いましたが、訪問看護の来る時間帯が夜はダメということで、それまでは仕事が週5日勤務だったのが、3日勤務にせざるをえませんでした。さいわい、就労先の理解があり、認められましたが。私の場合、人の手を借りないと生活ができません。制度がきちんとあれば、そこは十分クリアできます。今はヘルパーが来る時間までに自宅に帰らないといけないなど、縛りが大きい。制度に生活をあわせないといけない。でも、たとえば10年前までは、車椅子で外に出ること自体が難しかったし、めずらしかった。改善されているという思いもあります。

 ――このインタビューを読んでくれる方々へ、伝えたいことを最後に。


 簡単に一当事者の在宅生活の実例をのべました。
 一人の身体障害者の例であり、人それぞれ障害も違えば、生活環境、地域環境、価値観などなど、すべてが違います。
 私の生活様式をどのように捉えるかは、当然みなさんの自由です。
 ただ、私にとって今の生活スタイルはまさしく「必要最低限」のレベルにすぎず、普通の社会人と同等の生活とはとてもいえない、と思っています。
 「在宅で生活出来るだけでマシ」、「他の障害者の比べればマシ」などと思う方もいらっしゃるかも知れませんけど、一当事者の実例を、ありのまま受け入れて、そこから考えて頂きたいんです。
 私自身は「障害者の権利」だと声高に訴えるつもりは毛頭ありません。
 事実、中には「障害者の権利」と称して、支援費制度を必要もないのに湯水のごとく利用している当事者の方もいます。
 介護保険も同様でしょうが、利用者側の間違った制度利用も財政破綻のいったんであることはいなめません。
 しかし、そもそも満足な説明もなく開始された支援費制度のもとで、正しい利用をしろ、という方が無理ではないでしょうか。
 なにせいまだに役所の担当者でさえ、制度を理解されていない方も多数いらっしゃるのですから・・。


 ただ、私はごく普通に生活がしたい、仕事もしたい、余暇も充実したい。
 けれど障害があるため自分自身ではできない部分を援助して頂きたいと願っているのですが、このような願いを制度に反映して欲しいというのは、間違いなのでしょうか?
 一個人レベルの要望は受け入れられないのでしょうか?
 さまざまな一個人の要望・希望をもとにして制度ができあがっていくものではないでしょうか?
 そういった視点から見ると、現行の福祉制度もそうですが、今回の「障害者自立支援法」は、まさに当事者不在の中で骨子が出来、議論が進んでいます。
 ご存じだとは思いますが、こういったことに危機感を感じた当事者たちが先日、日比谷公園で集会、デモ行進を行いました。法案の前身である「グランドデザイン案」が世に出た時から、悪い点もあるが良い点もあるなど、いろんな意見がありましたが、この法案の問題点はただ一点、「当事者不在」ということにつきると思います。
 制度ありきの議論ではなく、障害者が普通に暮らすとはどういうことか、を支援者の方にもそれ以外の方にも、論じあって頂きたい、と一当事者として希望します。