平時の、いわゆる全体主義ではない優生学

 基本的な点を再確認。メモ。身近さについて。立岩真也&市野川容孝の対談「障害者運動に賭けられたもの」では、優生学・優性思想が(1)戦中期に限られず「戦後」の思想でもあり、(2)国家主義と必ず直結するわけではなく、民間の自発的な市民運動個人主義・自己決定論から導き出される可能性があり、(3)また人種差別ともぴったり重なり合うわけではなく、時には反人種差別的な優性思想もありうる、など等のポイントが確認されている。「平時の、いわゆる全体主義ではない優生学」。あるいは「内なる優性思想」。例えばナチスの断種法をそっくり輸入した「国民優性法」(1940年5月制定)に基づく優生手術の件数は45年までの5年間に約450件で、また強制措置もなされなかったのだが、戦後の「優性保護法」になると、らい病者への優生手術が法文化され、遺伝性(とみなされた)疾患/精神障害者知的障害者への強制的な優生手術は、ピーク時の1955年で、年間1500件ペースになったという。