メモ(消費者主権とノンポリ性)

 フィルタリングやカスタマイズが、いわばメディア空間を、発信者の論理ではなく、受け手の、すなわちメディアの「消費者主権」を強化することは明らかである。昨今では私たちは、情報の内容のみならず、それをいつ、どのような場所で視聴するかという点についても、ハードディスクレコーダーやポータブル映像機器の普及により、消費者の自由として享受することが可能な社会にたどり着こうとしている。
 消費者の論理の根幹にあるのは、経済的な効率性であり、消費者自身の先有傾向を満たすようなコンテンツであり、そして、それらの条件をクリアするならば、政治的立場を問わないという「ノンポリ」性である。ノンポリであるということは、政治的な中立性を保っているということとは全く違う。例えば、ネオナチを対象にした専門チャンネルというものを考えてみてほしい。こうしたチャンネルは、ネオナチの若者によって作られることもあるかもしれないが、むしろ現在の状況では、そうした若者をターゲットにして商売をしようと考える「ノンポリ」な経営者によって制作されると言えるのではないだろうか。
 政治的立場(ポリシー)を有していないが故に、どのような政治的立場でも受け入れられる、という、新たなメディア・ポリティクスの時代が、現在始まろうとしている事態である。このような事態に対して、私たちはいかなる策を講じるべきだろうか。(http://www.policyspace.com/archives/200507/post_396.php