id:matsuiismさんの(異和の感覚を含む)コメント

 杉田さんのテーゼは、フリーターの多くが日々の生活の中で突き当たる困難や行き詰まりを内在的に分析・批評した表現であり、フリーターが労働者としての「階級的な意識」(他の階層や集団との関係)をもつことができない現実を表現していると思う。(略)


 ただ、逆に言うと、杉田さんのテーゼは、自他をギリギリのところに追いつめようとする姿勢が強過ぎて、どこか窮屈な印象を受ける。たとえばテーゼ16「表現や消費の自由は、むしろ、生産関係(所有の次元)の不自由や抑圧を覆い隠す」に関して。私は、各人が趣味や恋愛に没入できるのは幸福なことだと思うし(恋愛さえ私には縁遠いのだから)、「生産関係(所有の次元)の不自由や抑圧」に対して、「ミニマムな抵抗」(花田清輝)でもできればましと思う。「表現や消費の自由」と「生産関係(所有の次元)」の問題とは、単純に対立しあうものではなくて、労働者(家族)自身の生活や文化の「再生産」の問題に関わっているのだから、「空想の自由」をたんに批判するのではなく、それがどうやって「生産関係(所有の次元)」の問題に結びついているかという糸を発見すべきなのでは、というのが私の考え。たとえば趣味や恋愛の場合でも、人は「生産関係(所有の次元)」―そのための時間やお金、人間関係をどうやって作り出すか―の問題に突き当たらざるをえないのだから。もちろん、杉田さんも「そのままでは」という点を強調しており、単純に「表現や消費の自由」を否定しているのではない。アクセントの置き方の問題でしょうか。(http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20050925