ajisunさんによる立岩真也『ALS』への違和感

http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20051124

 立岩さんの本のおかげでALSはその筋ではけっこう有名な難病になったけど、あの本は立岩さんの理念と理想で書かれているから、あの本のとおりがALSの現実ではない。衛さんと操さんにしか会ったことがない立岩さんは自立生活モデルをALSにも当てはめているところがあるけど、ALSは瀕死の病人なのだ。そして一定の割合で平等に誰にでも発症する。またALSを生きるのはあの本に書かれているほど甘くないし、患者は最初から最後まで自分の機能にこだわりつづける。死にたいという気持ちと治りたいという気持ちは否定できないし、死ぬ時は安楽死を希望するのも責められない。というのも尊厳を生きている彼らは死ぬときくらいは安楽にと願っているからだ。また、家族に対して迷惑をかけるからという発想も確かにあるけれど、家族だけで介護をしてもらうのは当然とも思い、それを前提に闘病という延命を考えているところもある。だからQOLは彼らにとって大変に大切なキーで決断の指標なのだ。(私はQOLを否定してきたけど最近はまったくの逆で、QOLを否定することが彼らを孤独にし放置していると思っている)
 社会資源を分配し所得を約束するだけでは患者は生きる決断をしないが、家族はとたんに立ち直る。また患者は家族のために死ななければならないと思うと同時に家族のためには死ねないとも思っている。二律背反する感情をコントロールしている見事なエゴイストたちで、私たちが考えるよりもずっとたくましく、はっきり言えばずるいところもたくさんある。だからALSの介護の問題はむしろ家族の側にこそある。患者と社会に主任介護者として指定されてしまっている家族を如何にして呪縛から救助するかだ。自立生活運動をしてきた障害者たちは皆、自立したいからこそ在宅を選んできたわけで医療からは自由だし一人暮らしの心構えができていた。それができなければ施設にいればよく、選択はどちらも可能だけど、ALSの場合、選択肢はなく在宅で家族が看れなければ死ぬしかない。家族だけが生きる手段になっている。選択を家族の側に残しておくことで医療は逃げてしまっている。在宅の医療化は進んでいるが、専門職は介護をしないから家族の介護負担はますます増え介護する家族の責任もまた増える。そんな家族を支える為には所得を保障するだけでいい。お金ですべてが解決する。