生田武志『〈野宿者襲撃〉論』

「野宿者襲撃」論

「野宿者襲撃」論

 本書の刊行が決まった時、ぼくは浮かれた内容の紹介文を書いた(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20051103)。その後、別の場所で、ある人が本書の真っ黒な装丁について「今までお亡くなりになった野宿者の方々に喪を服しているよう」と書いていたのを読んだ。さらに別の人がそのコメントを読み、本書の刊行に「おめでとう」を言ったことは「軽軽しかった」とコメントしていたのも読んだ。ぼくは恥ずかしかった。他方でぼくは、生田氏が本書の刊行に関して繰り返しもらすある種の気弱さ、遠慮がちな感じが気になっていた。「内容については自分では何とも言えない」(12月4日)。「本書は、「野宿者襲撃」についての包括的な論考を目指しました。しかし、それが要求するものは、明らかにぼく個人の経験と能力を超えていました。その意味で、完成したこの『〈野宿者襲撃〉論』に、いま非常に複雑な思いも持っています」(「あとがき」)。


 この「非常に複雑な思い」の正体はなんだろう、とずっと気になっていた。
 本書の「後編」では、若年男性の野宿者襲撃の質そのものが「ストレスの解消としての襲撃」から「野宿者の焼却、存在の抹殺を目的とした襲撃」へと過激化しシフトウェイトしつつあること、そして現在生じつつある野宿者の低年齢化、女性野宿者の増加傾向などの現状について触れられている。その意味で、1975年〜現在に焦点を当てた本書の分析とは異なる「新たな視点によるまったく別の文章が必要とされるだろう」という面はあるかもしれない。そして野宿者襲撃の問題そのものが「個人の経験と能力を超え」るという面もあるかもしれない。
 しかし、本書の文章をうっすらと包んでいるのは、それらの面もあるが、むしろ、1986年に初めて釜が崎を訪れ、そのあと約20年間に渡って地道な野宿者支援活動を続けて来た――しかしウェブのプロフィールを読めば分かるが生田氏自身が一貫してアルバイト・日雇労働者的労働者であり殆ど野宿者に隣接してもいるのだが――生田氏の存在そのものを強いる「非常に複雑な」無力さ、ではないだろうか。それは目の前の社会的弱者に過剰に同情し入れ込み、何か期待が裏切られると即座に無関心か嫌悪に転じ、しかも支援対象を変えつつこの構造を繰り返す、というタイプの人々がしばしば抱く「無力感」(ボクって、ワタシって、なんて無力なんだろう!誰も救えない!)とは全く違う。長年の活動を通してじょじょに血肉化された感覚だろうからだ。もちろん、その重みを、ぼくは生田氏の文章から部分的に、かすかに垣間見うるだけだ。例えば杉田『フリーターにとって「自由」とは何か』の文章がはらむ重苦しさよりも、本書の一見淡々とした叙述は、実際ははるかに重苦しいとも言える。
 しかし、別の面から見れば、この無力さはそのまま《力》の源泉でもある。少なくとも、「八九年革命」をめぐる生田氏の下記の議論は、このエレメンタリーな無力さによる染色を見なければ、肝心のポイントを読み逃すだろう。


 例えば生田氏は、終章「日本における「八九年革命」とは何だったのか?」で、1990年10月に釜が崎で生じた野宿者たちの西成警察署に対する怒号や投石などの「暴動」に際して、そこに次第に10代の少年少女たちが自然に合流し――互いの苦境を特に理解し合ったわけでもないまま――一瞬の「共闘」を繰り広げた光景の中に、「今までとはちがう可能性」の輝きを見出す。「われわれは寄せ場・野宿者の運動の今までとはちがう可能性を与えられていた。それに気づかなければ、社会運動としては多分終わっているような何かの可能性に」とまで書く。
 若者達の暴動への合流は、日本のメディアでは終始批判的に紹介され、支援者の間でも評価が二分されたと言うが、生田氏はそこに強力なポテンシャルを読み込む。野宿者と少年・少女は、生田氏の分析によれば、この社会で居場所を失った二種類の「ホームレス」なのであり、野宿者襲撃が両者の「最悪の形」でのネガティヴな出会いであるとすれば、1990年10月に釜が崎で生じた刹那の「連帯と共闘」は、そのポジティヴな出会いの形=「革命」だったのだ、と。


 この若年層と野宿者層の「連帯と共闘」の可能性への希求は、例えば生田氏のウェブのフリーター論にも一貫している。
 例えば生田氏は『フリーターにとって「自由」とは何か』の中に《ギリギリの地点での原理的な「他者との関係」(そして読者へのよびかけ)が、フリーターにとっての「自由」とは何か、という問いの最も根源にある条件として提示されている》という「自由の条件」を見出すが、これは生田氏自身の考える「連帯と共闘」の「条件」でもあるように読める。注意しよう、それはたんに特定の人々と別の人々をつなげばいい、連合しネットワークをつなげばいい、そうすれば新たな開放性や多様性が得られる、などという意味ではないだろう。ひとつの「世界」の中での運動や雑務を長い間経験し、その果てでぶちあたる限界の痛みを舐め尽くした人間が、その痛みや無力さの感覚と共に「別の」世界の現実へとどうしようもなく視線を転じられていく、押し出されていく。生田氏のいう「連帯と共闘」とは、少なくともある側面では、そんな域=閾から発せられる「叫び声」なしにはありえないし、その不可避性と不可欠性を刻まれているだろう。


 しかし、本書では手放しで「八九年革命」のポテンシャルが信じられているわけではないだろう。本書を埋め尽くすのは、「弱者いじめの連鎖」(北村年子)、「弱い者こそがさらに弱い者を襲撃する」という反復と転移であり、その「やりきれなさ」だからだ。
 もちろんこの時生田氏自身も安全な・無垢なポジションにはいない。若年層や社会的弱者による他者の「襲撃」というアクションの背中を押すのが、他ならぬマジョリティたちの「働かなければ、何かをしなければ生きる価値がない」という無意識の価値観や「ホームレスといえどもいのちは大切だ」という無意識の善意であるという事実が、何度も何度も確認されるからだ。大切なのはこの加害の感覚である。以下の引用箇所の「われわれ」には、間違いなく生田氏自身が含まれている(生田氏は「われわれ」という言葉の暴力性に極めて鋭敏だ)。《かりにそう考えれば、少年たちによる野宿者襲撃は、われわれの社会にとって別に「胸に覚えのない」ものではない。ただ単に彼らは、社会的弱者である野宿者を、自分たちの属する共同体の「外部の人間」と明確に認識しているだけである。(略)おそらく少年たちは、幼いときからこうした「われわれの社会」の野宿者への対応を見て、野宿者を「外部の人間」と「学習」しただけなのだ》。「何かをしなければ生きる価値がない」「全ては自分の責任だ」、そんな重圧の中で苦しめられ続けて来た人間が、まさにそんな価値観のために苦しめられている人間をターゲットにし、襲撃を加える――。これは何なのか。「われわれ」はなぜこんな異様な、でもありふれた無残さを克服できないのか。北村年子の次の言葉は、本書の根幹を流れている。「もっとも近い、出会えるはずの「人間」どうしが、出会えないこの社会の脆弱さとはなにか。彼らを分断し、対立させ、憎しみあわせ、「いじめの連鎖」を生みだしつづけている社会システム――その構造を支えている個々の意識をこそ、問い直したい」。


 ある人が本書の真っ黒な装丁について「今までお亡くなりになった野宿者の方々に喪を服しているよう」と書いていたと述べた。しかし本書をうっすらと包む無力さは、生田氏の《かつて「二〇世紀は難民の世紀である」と言われた。だが、少なくとも一部の先進諸国では、冗談抜きで「二一世紀はホームレスの世紀」となる可能性がある》という言葉に繋げて読めば、過去だけではなく今現在も、そして未来にも確実に延々と殺され続ける・殺し続けるだろう「ホームレス」(野宿者/少年少女)へ向けられた「未来の喪」の方へ向けられているのかも知れない。