あんぱんまんと分配的正義



 あんぱんまんの絵本を幼い頃に読み、なにか不吉な凄みを感じたことのある人は多いんじゃないか。


 アニメのアンパンマンの歌詞の「暗さ」も気になってた。
http://takoweb.com/~mebi/text/2006/anpan.php


 歌い出しからして「なにが君のしあわせ/なにをしてよろこぶ/わからないまま おわる/そんなのはいやだ!」だからなあ…。
 ちなみにテレビの主題歌は「2番」なんですね。確かに「1番」の歌詞は子ども向け番組にしてはヘヴィすぎるかも…。


 こんな記事があった。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091155140127.html


 ネットで調べたら「やなせたかしは闇属性」「あんぱんまんの世界は基本的に鬱」みたいな感想は、多くの人が抱いているらしい。


 wikiには「アンパンマンの『正義』」の項目に、次のようにある。


 《やなせたかしアンパンマンを生み出した背景には、戦中・戦後の深刻な食糧事情があった。この当時彼は、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。この自らの飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想が生まれた。だがそれだけならば、アンパンマンというキャラクターの創造には繋がらなかったであろう。その思いが実際「食べ物のヒーローが空を飛んでくる」形で提示されるようになった背景には、彼の哲学があった。『ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです』第1作『あんぱんまん』のあとがきよりと、自身が絵本のあとがきで語っているように、アンパンマンは文字通り自らの身を削ってよれよれになり、傷つき倒れながらも困っている人のために尽くす。空腹の人に顔の一部を与えることで悪者と戦う力が落ちると分かっていても、目の前の人を見捨てることはしない。かつそれでありながら、たとえどんな敵が相手でも、戦いも放棄しない。この『正義』がアンパンマンを稀代のヒーローたらしめており、また世代を超えて愛される理由のひとつとなっている。》


 まさに分配的正義なわけなんだが…。
 もはやこれを「正義」と呼べるんだろうか。何か不気味なもの、不吉なものがある(しかも「アンパンマンは君さ」だからな)。キャラ界のイエス・キリスト?を彷彿とさせる凄みがある。自己犠牲(自分の肉を糧として飢えた他人に与えること)と闘争精神(ばいきんまんその他)が、矛盾したまま、彼の中で生きられている。


 交換され挿げ替えられた方のあんぱんまんの首って、どうなるんだろうか。まだ意識があるんだろうか。ギロチンで切られた首は、声かけすると数分反応があったりするみたいだけど。


 頭部を交換されて死なない、それでも人格の同一性を維持できる、ってことは、あんぱんまんには「脳死」はありえないってことか。あんぱんまんの衣服・マントの「中身」はどうなっているのかは、誰にもわからないらしい。空っぽなのではないか、という説もある。あんぱんまんの本体はマントではないか、という説もある。


 そういえば「アンパンマンと臓器移植」って論文もあったな。


 やなせさんの年賀状もすごいね…。
http://d.hatena.ne.jp/derorinman/20070114/1168757293