ベーシックインカム

 単なるメモです…


 ◇(http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070908/p1)より。


 リバタリアンA:政府の徴税・再分配は失敗する(と信じる)→諸個人の自発的贈与でセーフティネットはうまく行く(と信じる)
 リバタリアンB:政府の徴税・再分配は失敗する(と信じる)→諸個人の自発的贈与もうまくいかないだろう(と信じる)→全員からの徴税を均等に頭割りする(ベーシックインカム(a))=ゆえにリバタリアンはBIに賛同しうる(ヴァン・パレイスは「真のリバタリアン」を自称)


 フリードマンの「負の所得税」:所得が一定水準以下の人に、その水準を下回る差額(の一定割合)だけ負の課税=給付を行う、というアイディア。ミーンズテストなどもなく、働いた方が全く働かないより総所得は増える仕組みなので、労働インセンティヴを阻害しない、とされる。ただ、所得税の定率化(非累進税化)を前提としている。


 ベーシックインカムではなくベーシックキャピタルが望ましいとする人々もいる。以下に詳しい。斎藤氏はBCに批判的。


 ◇齊藤拓「ベーシックインカムとベーシックキャピタル」(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2006/st02a.pdf
 ◇齊藤拓「福祉国家改革の一方向性――各国に見る資産ベース福祉への移行――」(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2006/st02b.pdf


 しかしいずれにせよ、


 BI(Ⅰ)では、病者・障害者などの生存保障には足りないので、BI+α(Ⅱ)の議論は不可避である様子。
 (「ベーシックな現金給付(お金)」のみならず「生活のベーシックな必要を満たす現物給付」が(も)必要。現物給付分を現金給付分に上澄みしても構わないが。)?


 ただし日本の場合、BIよりも生活保護の徹底化の方が実行可能性がある、という意見もしばしば見る。
 ◇野崎泰伸「生活保護ベーシック・インカム 」(http://www.arsvi.com/2000/0706ny2.htm
 あと立岩真也とか。


 ◇ディスカッション「ベーシック・インカムとはなにか」の山森亮の発言(『VOL』2号)


 BIを政策/社会保障制度/実行可能性ではなく、運動との関係から考えたほうがよい、とする。
 日本の1970年代前半〜の青い芝の「障害者が生きること自体が重労働」という認識を、イタリアの1970年代後半のアウトノミア運動の「生きること自体が労働」という認識に重ね合わせている。ここは面白い。本格的な論考を読んでみたい。


 ◇小泉義之ベーシック・インカムの「向こう側」」(『VOL』2号。)


 福祉国家・福祉サービスという「関係」自体の根本的破壊と揚棄を未来に展望しながらベーシックインカムのポテンシャルを思考しようとする。


 ◇牧野久美子「「南」のベーシックインカム論の可能性」(『現代思想』2007年9月号)


 BI論:福祉国家の危機と再編の文脈で登場。同じ文脈で出てきたワークフェア(就労支援+福祉)への対抗軸として。


 南アフリカナミビア、ブラジルで、BIは実際に政策的な課題になっている。貧困国という共通点。また、生活費には全く足りない低い給付水準のBI(部分BI)が想定されている。また、BIを目標としつつ、同時にそこに至るまでの前段階的社会保障制度が模索されている。