被害者/遺族の側



 メモ。
 被害者や遺族側は、ずっとないがしろにされてきた。
 刑事司法や少年司法のシステムは、国・加害者という二者関係で構成され、国による加害者への刑罰(処分)の賦課が問題となる。これに対し、被害者は「事件の当事者」ではあるが、「刑事手続きの当事者」ではない、とされてきた。たとえば日本の刑事裁判では、被害者・遺族は、傍聴席で裁判を見守ることしか認められていなかった。刑事裁判は社会秩序維持を護るためにあり、被害者のためにあるのではなかった(最高裁判所1990年判決)。起訴するかどうか、裁判の期日をいつにするかは、被害者や遺族と関係なく決められる。都合なんて考慮されない。訴状も、冒頭陳述書も、論告要旨も、判決も被害者には送ってこない。被害者は、捜査や裁判に必要なときだけ呼びだされる。たとえば遺族が傍聴席にすら座れない場合、一般傍聴希望者と同じ抽選に回される場合すらあった。法廷で証拠として提出される物的証拠・調書・起訴状・弁論要旨・論告要旨・判決文などを、閲覧することもできなかった。
 そして裁判後の生活。家計が破綻し、家族ごと路頭に迷う。そういうことは普通にある。犯罪被害に関わる医療・介護費・生活費などは、すべて自己負担だ。一九八〇年に「犯罪被害者等給付金支給制度」(犯罪者や遺族が被った経済的損害への公的補償)ができて(→http://www.npa.go.jp/higaisya/shien/kyufu/seido.htm)、一部の障害者や遺族には、国から見舞金のような給付金は出ている。でも、とても不十分なものだ。2002年度の給付金は11億1302万円。他方で、加害者への国費支出は466億6017万円(これには刑務所などの職員人件費・施設費などはふくまれていない)。雲泥の差がある。加害者に対して損害賠償を請求するために民事裁判を起こすにしても、裁判が終わるまで、裁判の証拠を閲覧することはできなかった。だから被害者や遺族は、一から資料集めを余儀なくされた。また賠償が認められても、支払い能力のない加害者は多い。結局は、被害者とその家族の生活は、取り残されるのだ。
 これらの歴史が長い間続いてきたことを、忘れるわけにはいかない。
 しかし、一九九〇年代後半からの被害者運動の成果で、日本の犯罪被害者遺族の環境は、徐々に変わり始めた。
 二〇〇〇年一月、犯罪被害者やその家族・遺族たちによって「全国犯罪被害者の会あすの会)」が設立。同年、犯罪被害者保護二法が成立。被害者や遺族への優先傍聴が認められ、裁判中でも公判記録の閲覧・謄写が可能になった。2004年には犯罪被害者等基本法、2007年には改正刑事訴訟法が成立。これで、刑事裁判の手続きを利用して民事の損害賠償請求ができるようになった(今までは、刑事裁判とは全く別の手続きで民事裁判を起こさなければならなかった)。性犯罪などの被害者の場合、実名などの特定事項が法廷では表れないようになった。そして、被害者が刑事裁判にある部分で参加できるようになった。被害者や遺族は検察官の隣に座って被告人に質問したり、求刑の意見を述べることも可能になる(今までは被害者は、傍聴席で検察官の反対尋問を聞くことしかできなかった)。詳細はたとえば「あすの会」のHP(http://www.navs.jp/)参照。
 ただしもちろん、被害者や遺族のスタンスも一枚岩ではない。
 たとえば、修復的司法の考え方を導入する「被害者と司法を考える会」(http://victimandlaw.org/)は、むしろ「被害者とその家族・遺族の司法参加」の二次被害を懸念している(応酬感情を懸念しているのではない)。だから、公的弁護人制度を軸とした早期支援弁護人制度が確立されるまでは、被害者の法廷参加にはリスクが高すぎる、と主張している。「あすの会」とは、ずいぶん考え方が違う。
 ちなみに、修復的司法/正義というと、「凶悪犯罪者の加害者と被害者の関係の和解」や「応報的な刑事司法や少年司法に代わる代替司法として主張されている」というイメージが強いかもしれないが、本当はとても広い諸実践を包括する言葉である。刑事司法や少年司法に限られるものではない。虐待やDVなどの被害者支援の実践や運動はもちろん、学校内でのいじめや非行などを修復的に解決するためのアプローチを総称するものだ。またハワード・ゼアたちは、修復的正義とはものの見方(レンズ)のことであり、先住民コミュニティの知恵の継承という面を強調している。一九七〇年〜八〇年代の北米で開発された被害者と加害者の和解プログラム(VОRP)の実践などによって、修復的正義の思想や概念がある形まで練り上げられてきた。しかしその背後には様々な流れが複雑に合流し分岐し、一九八〇年代から大きな潮流となったのである。というのも、誤解の面が大きい。*1
 一九九〇年代から被害者支援をとりまく社会的状況が大きく動いたことに比べると、日本の場合、(本当はそれに付随する可能性もあった)修復的正義の実践的展開は、まだまだささやかなものであるようだ。しかし被害者運動の潮流に詳しいFont-daさんは、《2007年6月までは、「あすの会」が法律知識と自民党とのパイプで、圧倒的に政局をリードしてきた。しかし、私が(特にアカデミズムの流れを)見るかぎり、これからは「被害者と司法を考える会」の主張する、修復的司法の導入へと政治情勢はシフトしていくだろう》と述べ、また《私は修復的司法について興味を持っている。しかし、この制度は非常に扱いが難しく、下手をすると「こころのケア」(←いい意味で言ってません)の一環と捉えられるため、導入には慎重に考えている》と述べている。


責任と癒し―修復的正義の実践ガイド (LITTLE BOOK)

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対話による犯罪解決―修復的司法の展開 (RJ叢書)

対話による犯罪解決―修復的司法の展開 (RJ叢書)


*1:RESTORATIVE JUSTICEのJUSTICEは、日本では「司法」と訳されているが、本来は広く「正義」という意味。ただ、日本語の文脈だと「正義」という言葉はあまりにもなじまないので、翻訳者も苦労しているようだ。