雑想



●湯川遥菜氏の経歴が切なかった。というか、もやもやするものがあった。この国の「男であること」のこじらせ方が切ないと思った(つまりLGBT的な文脈や彼の人格的な特殊性では片付かないと思った)。それは弱さゆえに虚勢を張り続ける安倍晋三氏の男権主義とも、どこか深いところで通底するものなのかもしれない。その戯画的な自己破壊性(そして周囲の人々を巻き込んでいくこと)において。そう思った。最初に湯川氏殺害のニュースが流れたとき、一瞬でも「後藤さんでなくて良かった」と感じた僕の中にも、根深い何かがあると思った。リベラルな良心や人間性の問題とは少し違う。もう少し根深いところで、とても嫌な気持ちがした。僕の言語感覚では「私はharunaだ」とは宣言することはもちろんできない。しかし……どうにももやもやするものが残った。そのもやもやした手触りを忘れないでいようと思った。


 ●この国には自己責任論のみならず、不思議な「自己犠牲論」の空気もあると感じていた。僕らはきっと、自分以外の誰かの自己犠牲が大好きなのだろう。思えば特攻隊も天皇もAKBも同じ論理で賛美されてきたのではなかったか。国民の幸福ために自己犠牲してくれている、と――逆にいえば、まさにそのために、被害者や犠牲者が何かを自己主張しはじめれば、過剰なバッシングの対象となっていく。それが気になった。国に迷惑をかけるくらいなら自決すべきだ、それは僕ら日本国民の理性の底流としてある無意識の声なのかもしれない。
 けれども後藤さんは、現地の人々に寄りそうばかりか、自分を叩く側の日本国民のことすら考えていた。それは驚くべきことだと僕には思えた。真正の自己犠牲とは、こちら側の常識的な価値判断や功利思想を、深く激しく揺さぶるものなのだろう。それはむしろ、俗流自己責任論とは正反対のものなのではないか。
 後藤さんは「何かあっても自分の責任です。シリアの人たちを責めたりしないで下さい」と言った。暴力と無関心の連鎖を断ち切るために。自己犠牲とは、僕らに対する秘密の贈与(J・デリダ)なのだろう。もちろん、後藤さん自身は何かを贈与しているつもりすらなかっただろうけれど。では僕らは、そうした贈与に値するだけの人間たりうるのかどうか。わからない。加害者意識や罪悪感では何かが弱い。ネタ的に消費して忘却するのでもない。倫理と消費、無関心と罪悪感の間を縫うような道が必要だ。後藤さんの崇高さと湯川さんのダメダメっぷりを同時に想像すること。その先で、紛争地の日常を、子どもたちを、そのねじくれた鬼子としての「イスラム国」の「人間」を想像すること。そんなことができるだろうか。わからない。でも一歩ずつだ。問われているのは僕らの側なのだろうと思った。


 ●テロリズム容認でもない。有志連合主導による対テロ絶滅戦争の肯定でもない。たんなる無関心や無抵抗主義でもない。暴力そのものをその核心において批判すること、すなわち非暴力平和主義とは、具体的には何を意味するのだろうか。意味しうるだろうか。しかも様々な価値観・文化観・宗教観が衝突し混交する、現代の複雑な歴史的・国際的な状況の中での非暴力とは。
 思えば、ガンジーの非暴力主義もまた、たんなる空想的な理想主義ではなかった。消極的な無抵抗主義でもなかった。何よりヒンドゥー教イスラム教の生々しい対立の中で主張されたものだった。そしてガンジーは決して清廉潔白な人物でもなかった。
 そういうことを、複雑化していく現実を見据えるリアリズムに根差しながら、考えていくだけの力が僕らにはまだ残されているだろうか。いわゆるリアル・ポリティクスではなく、そこに住む人々の暮らしに根差したリアリズムを鍛えていくということは(それが「ラディカル」=根を張ることの本当の意味だと僕は考える)。


 「本当なら、もっとイスラム教徒の優しさや、公正さや、弱者を助けることや、それでいていい加減で、帳じり合わせが巧みなところなどを知ってほしいのだが。メディアでは、そんな素顔が報じられることはない。」(内藤正典氏)


 ●今回の件を、安倍政権批判や安部退陣論に「利用」する声には、正直、反感を覚えた。けれども、人質解放の交渉の流れの中で、安部首相は財界人を引き連れて中東を歴訪し、しかも英米イスラエル寄りのパフォーマンスを行った。それは確かだ。しかもそれはこれまでの安倍政権のスタンス(集団的自衛権行使の憲法解釈容認、特定秘密保護法、武器輸出の解禁、原発再稼働、等)の延長上にあるものだ。その綜合的な検証が必要であるのも、ごく普通のことだろう。
 そもそも、民主主義国家では、主権者としての国民が政府の動きを監視し、おかしいことはおかしい、と言い続ける。それも至極当たり前のことに思える。にもかかわらず、ネトウヨばかりか、専門家・学者・政治家が「安倍政権には何の責任もない」「政権批判を行う奴らはテロリストに利するのか」「イスラエル批判は反ユダヤ主義の差別主義だ」云々という偏向した主張を公然と行ってきた。不気味に思える。
 知性主義を日ごろ標榜する人々の反・知性主義。もっとも、それは知性主義の定義が違うだけのことかもしれない。僕の個人的な定義では、知性主義とは、たんに情報や専門的な知識をより多く集めて状況の巧みな地図を描くこと「だけ」ではない。既存の思い込みに目を曇らされ・歪められないためにこそ知性を重視し、しかしその時にこそ同時に自分の根本的な無知をも深く自覚し(完全な知識を手にすることは誰にもできないから)、そのうえで、なお倫理的な意志をもって、できるかぎりもっとも弱い立場の人に寄りそおうとすること。
 その限りでは、知性はもちろん、感情や倫理と知性は矛盾しない。というか、感情や倫理の厚みを持たない知性主義は、きわめて危ういのであり、抑圧や権威の武器に転化しうる。そういうことも思った。


 ●それにしても、僕らは(この僕は)、同じ世界の一部であり我々の現実を構成するものたちを、どれだけ何も知らなかったのか。知らないでいるのか。そのことを、とことん思い知らされた数年だった。原子力。ヘイト。イスラム。歴史そのものを根本的に再学習することを迫られてきた。
 様々な捩れや矛盾のツギハギとしての「戦後民主主義」という理念は、やはりその根本的な「無理」を無残に露出させているのだろうとは思った。そのことにしっかりと向き合って、本当にこの国の未来にフィットした「民主主義」を造り直すことができるか。歴史からそれを試されているのだろうと思った。しかも、戦後史の蓄積を完全にリセットするのでもなく、歴史修正主義へと走るのでもないような形で。


 ●戦後平和主義から有事をステップボードにして積極的平和主義へ。誰もが感じているように、そんな流れを押しとどめることは難しいのだろう。歴史の恐ろしさを甘くみることは僕にはできない、と言ったのは小林秀雄だったか。
 たとえば今や全く流行らない「絶対平和主義」という言葉に奇妙に懐かしく魅かれる自分がいる。保田與重郎は、ガンジーの非暴力主義のインパクトもあって、戦後に『絶対平和論』を書いた。彼の言葉には今も考えさせるものがある。絶対平和を実現するには、たんに抽象的な平和を唱えたり非武装中立にとどまることではなく、「真に平和的な暮らし」を国民に根づかせなければならない、と言うのだ。「戦争する余力も、必要も、そういう考へも起つてこないやうな」生活のあり方(労働と消費の様式)を自分たちの命の中に涵養し熟成させること、それが肝腎なのだ、と。
 ひとたび国難があれば、武力や戦争に頼る。そうした悪循環自体を断ち切らねばならない、と。そんなことを言えば、空想的で非現実的だと批判されるに決まっている。でも、本当にそうか。
 安倍政権のいう積極的平和主義とは、スタンダードな「攻撃こそ最大の防御」型の軍事化だとすれば、絶対平和主義とは、〈誰も殺したくないし、誰からも殺されたくもない〉という、ある種の臆病な、弱腰の平和主義であり、「腰抜け」(半藤一利)の平和主義であるかもしれない。
 たとえそれが様々な欺瞞(日米関係、戦後責任清算の回避、負担の特定地域への押し付け等)の産物でしかないとしても、少しずつ積み上げられ、熟成されてきた敗戦後的な理念の中には、大事なもの、これからも大切に育てていくべきものが少なからず含まれているはずだとも思う。
 戦後史の様々な欺瞞(9条と自衛隊天皇と民主主義、西欧とアジア、原発・基地の非民主的な押し付け)をなるべく解きほぐし、民度を鍛え、外交を鍛え、異質な他文化に実直に学びつつ、自分たちの民主主義を底上げしていくことができるのか。
 戦後史の中を生き延びて熟成されてきた理念を、もう一度、自分たちの手で育て直すことができるだろうか。たとえば後藤さんのみせた崇高さも、湯川さんのみせた無様さも、やはりこの国の歴史のある部分を象徴するものなのであり、それを抱え込んでいかなければならない。異質な多文化に実直に学びながら。生々しい対立や衝突の中で。
 低く小さく無力な声で、だけれども、そんなことを考えてみる。


 ●自衛隊や安保関連の法案が今後、情念的に、ショックドクトリン的に、無批判に雪崩落ちていくことは、後藤さんの望むところではないだろう。実際、中村哲さんや紛争地で直に支援を行う人々は、中東諸国に対する日本の「相対的に公正な」(イスラミックセンタージャパン)立場、そして何より戦後平和憲法の存在が、いかに「リアル」な形で現地の活動のために役立ってきたか、現地日本人の安全に利してきたか、そのことを証言してきた。僕らはその事実にもっと驚いていいのではないか。彼らの証言にもっと耳を傾けていいのではないか。戦後平和憲法が「内向き」どころか、遠い紛争地においてすらグローバルにその力を発揮していたのだ、と。他国の歴史や文化だけではなく、自国の歴史をも根本的に学び損ねているということがやはりあるのではないか。少なくともこの僕には無数にあると思えた。