『私たちに許された特別な時間の終わり』感想



 かつてfacebook(2014年8月4日)に投稿した記事を以下に転載します(一部個人的な人間関係の話は削除しました)。


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 太田信吾監督『私たちに許された特別な時間の終わり』を昨日、試写で観た。


 《2010年12月、かけ出しの映画監督の太田は、ひとりの友人を自殺で亡くした。彼の名は増田壮太(そうた)。かねてより壮太とバンド仲間の冨永蔵人(くらんど)を撮影していた太田にとって、そのショックは大きかった。10代のバンドコンテストで優勝するほど音楽の才能に恵まれ「ミュージシャンになる」という強い夢を持っていた壮太がなぜ———。一方、壮太に誘われバンドを組んでいたものの、何がやりたいのか自分でも分かっていなかった蔵人は、徐々に壮太と袂を分かち、就職することで自分の居場所を見つけはじめる…。
 本作はそんな3人の若者たちをめぐるドキュメンタリー。監督は岡田利規が主催するチェルフィッチュに俳優として参加するなど、多彩な活動でも知られる新鋭・太田信吾。「映画を完成させてね、できればハッピーエンドで」という壮太の遺言と実直に向き合い、時にはフィクショナルなカットも織り交ぜながら、「表現とは何か、自由とは何か」を模索する長編初監督作として完成させた。》


 はっきり書く。太田監督によるフィクションパートが本当に見るにたえなかった。冒頭5分で会場を出ていきたくなった。しかし、増田さんやその友人の冨永蔵人さんの生き方・苦しみ方・友情のあり方が僕には魅力的で(そのダメなところや弱さ、醜さ、悲しさ愛しさを含めて)、自然にそちらにひきつけられていった。息子を失ったお父さんお母さんも、とても魅力的な方たちに思えた。


 他人事とは思えなかった。感傷的だけれど、やはり、そういう思いを消せなかった。僕自身が、20代半ばで研究者の道を諦め、何度も何度も自殺衝動と戦いながら、何も知らない介護の仕事に飛び込んだ。増田さんは生前に介護職に就いたというが、その仕事ぶりはどうだったのだろう。映画の中ではそれは描かれない。たまたま、僕には、介護の世界は楽しかった。多くの発見や喜びもあった。両親や友人の支えもあった。そんなふうにその後の10何年かを、何とか生きてきた。生きさせてもらった。今も、書くことの仕事を細々と続けられている。何が違ったんだろう。ジャンルは違えど、才能は彼の方がずっとあっただろうに。


 「もっと生きていれば何かあったはず」と言いたくなる不遜な気持ちを、何度もかみ殺した。「もっと生きていれば」、それは絶対に言っちゃいけない無礼な言葉の一つに思えた。他方で、自殺を過剰に意味づけて曲を聴くのも、何かが違う。しかし、彼の人生が行き着いたその事実(自死)を完全に切り離して彼の音楽を聴くことも、すでに、やはり、できそうにない。そもそもその事実があったからこそ、僕は彼に関する映画を観たのだし、彼の曲を聴いたのだ。真面目に生きようとし、10年必死で音楽をやり、売れず、鳴かず飛ばず、親元からの自立を目指したが果たせず、精神を病み、なおも苦しみ、音楽に執着し、ついには諦めて、介護の仕事をはじめたが、その後自ら死んだ。そして幾つかの曲が残った。


 エンディング曲として使われた「僕らはシークレット」がMVとしてyoutubeに上がっている。このMVの映像がまた、極め付きに最低最悪の出来で、ほんとうに残念で残念で仕方がないのだけれど、その先で、増田さんの音楽と思いは、きっと、聴いた人の心に、誤解なく染みわたるだろう。この青年はこんなふうに生きて、こんなふうな音楽をこの世界に残したのだ、確かに何かが伝わるだろう。僕は何か夾雑物を交えて聞いてしまっているのだろうか、と不安に思って、今日、書き物の仕事をしながら、何十回もリピートしていた。すごくいいと思った。そういう思いが僕の中に残り、滴となって腑に落ちた。


http://www.youtube.com/watch?v=mHlbELrI3ZA


 彼のベストアルバム『命のドアをノックする』が近々出るそうだ。生前には、全国流通音源として世にアルバムが出ることはなかったという。


命のドアをノックする

命のドアをノックする



 「生きろとはいわん、ばってん、死なんでくれ。」(青山真治ユリイカ』)


 正直に言えば、「死にたい」という不気味な現実は、不吉な影のように今でも背中に貼り付いている。気恥ずかしく、甘えているし、それを口にすれば忽ち嘘っぽくなるとわかっていても、それを偽らず飾らずに、まっすぐに口にすることのできる人間でもありたいとは思ってきた。特に何かを書いている時には、この年になってもまだ、生きていたくないという気持ち、すべてが無意味で無駄だったのだという気持ち、長生きしたいわけじゃない、特別な地位やお金が欲しいとも思わない、ただこの索漠とした虚しさを抱いたまま死んでいくのはやはり耐え難いという黒々とした気持ち、そういう気持ちが湧いてくるのを、どうにもできない。


 ただ、僕らにそういう気持ちを強いるもの、姿も形もよくわからないが強いる何ものか。そういう何ものかと戦いたい、戦っていきたい、そういう気持ちも、死にたいという気持ちと分かちがたく混じり合いながら、どこかに、ある。あるという気が少しはある。どうだろう。やはりそれを誤魔化して何かを言う気にはなれない。生きることをそのまま肯定できる、丸ごと愛せるとは言わない。ただ、無限に死にたいという欲望と雑じり合うところから放たれる「死なんでくれ」という言葉、そういう欲望と意志。それが「命のドアをノックする」ということなのだろうか。


 《〈あらすじ〉に要約できない、細部からもこぼれ落ちる、虚構の手練手管も役に立たない、生きるという事実が、逆説的に映像を支えている。》


 谷川俊太郎さんの、以上の短い作品コメントが、いかに的確であるか、この文章を書きながら、思い知った。映画はまるで駄目だと言っている。そう言っているのだが、映画を批判をしたい気持ちはないし、その必要を感じてもいない。素直にそういっている。ただ、その映像の奥に断片的に垣間見える青年たちの「生きるという事実」を、この老いた詩人は、まっすぐに見つめようとしている。その「生きるという事実」そのもの、それが、それだけが、尽きせぬ何かを僕らに考えさせる。いつか僕にも、増田さんのみならず太田監督のダメさ、この映画のくだらなさ、そのすべてをまっすぐに見つめ、そこに「生きるという事実」の喜びを心から感じ取ることができるだろうか。僕はそんな人間になりたい。いつか。そう思った。