山中貞雄『河内山宗俊』――ダメ人間どもの(それほどでもないけど)偉大さ



 今年最初に見た映画。山中貞雄*1河内山宗俊』(コウチヤマソウシュン、1936年)をDVDで。地元のTUTAYAに置いてある。飛びついた。
 山中さんは1930年代の日本映画黄金期に活躍した監督。29才で亡くなられ、また多くの作品が失われたので、現存するのははわずか3作品のみ(「丹下左膳余話・百萬両の壷」「河内山宗俊」「人情紙風船」)。ぼくは5年位前『人情紙風船』を法政大学の自主上映会で見ただけ。


 市井でうだうだ生きるダメ人間達の物語。
 現代でいえば、フリーター/ニートに含まれるのか。
 河内山宗俊は、本来は歌舞伎や講談で人気を博した稀代の悪党らしく、そんな英雄的人物を、山中監督はあえて市井のダメ人間として描いたのだそうだ。愛情をこめて。


 河内山宗俊河原崎長十郎)は要するにヒモで、酒を借金でくらったりイカサマバクチで得た金をむやみに蕩尽したり。金子市之丞(中村翫右衛門)は、今は落ちぶれたビッコの浪人で、用心棒の仕事もろくにせず刀も最近抜いていない。親分に頼まれた買物もろくにこなさず、ふらっと出ては帰って来ないので、「無駄飯ばかり食っている」と自他共に認める始末。
 この二人は甘酒屋の娘・お浪(若き原節子)を気にかけ、ちょこちょこ甘酒屋に顔を出している。(ちなみに、主要な4人は「酒」で結びついているのだが、それが「甘酒」というのがこの作品に妙にふさわしい。)


 しかし二人に輪をかけてダメなのが、お浪の弟の直ちゃん(市川扇升)で、賭博にあけくれ自宅に戻らず、別人の名前を騙って宗俊の弟分になり無為徒食を繰り返しているかと思うと、森田屋の親分が身受けした花魁の娘(幼なじみの女の子)を計画性もなく無思慮に連れ出し、行く場所もないからと一緒に心中を図り、でも娘だけ死んで自分は死ぬことも出来ず、すごすごと姉の元に帰ってくるが、そこに森田屋の親分がやって来て、死んだ娘の身受けのお金300両をよこせと脅され、結局、姉のお浪が身を売る羽目になる。自分のダメさを克服し、乗り越えようとする行為が全て裏目に出、ますますダメさを積み重ねていく。周りの人に迷惑をかけていく。でも、それこそが人が真に「ダメ」ということなんだろう、きっと。そして直は最後には森田屋の親分を刺殺するが、これが事態を最高に悪化させる。
で、宗俊と市之丞は、哀れなお浪(と直)を救うために奔走し、行動を始める。


 しかし、ダメ人間達が、可憐な少女を救うため、華々しく英雄に転じる……のではない。
 森田屋のチンピラたちとの戦いの場面でも、この人たちはそうとうダメなままだ。
 市之丞も用心棒のくせにあまり切り合いに強くないし。狡知を凝らすが、どこかツメが甘い。肝心な部分でやり損ねる。市之丞も宗俊も、お浪を助け直を逃すために最後にはチンピラの群れと激しく戦い、むざんに死んでしまうのだけれど、その死に方(の撮られ方)がまた、英雄的でもなく、かといって悲劇的でも滑稽でもなく、押し寄せてくるチンピラの流れにわーっと巻き込まれて姿がみえなくなってしまう、みたいな妙にあっさりめの死に方なのだった。一九三〇年代当時の映画内の死に方は、概してそんな風だったのかな。
 大事なのは、彼らが、お浪だけじゃなく、この作品でおそらくもっともダメで人に迷惑をかけた直ちゃんを、命を賭してまで助けようとしたことではないか。もちろん、弟の直が死ねば、お浪も深く哀しむだろう。それはあった。でもそれだけではない。最後には、このもっともダメな若い青年のことも生かしたい、と彼らは無意識であれ行動していなかったろうか。それを象徴するかのように、映画の最後は、直が姉のもとに向って走り去っていく場面で終る。


 彼らはそういうわけで、そこはかとないダメな感じを最後まで抱えている。でも、人としてダメなままでも、彼らがいったん起した行動=アクションは、とびきり《偉大》でもあるのだった。山中監督の視線は、そんな彼らの存在と変貌を、をユーモアと人情でしっとりと包んでいる。

*1:変換を間違えました。×貞男→○貞雄