手の平で踊らされたような、(支援費制度という罠?)

 最近良く聞く話(いや前から聞いたけど)。支援費制度は、ホームヘルプ業者でいえば、大量のNPO法人を参入させるためのまき餌、あるいは移動介護=ガイドヘルパーの単価を極端にきり下げるための一時的な戦略だったのでは?
 流れがあんまりうまく出来すぎている。いったん移動介護の単価をものすごく高くし、当事者の「ニード爆発」が生じ財政的に負担が膨らむと、「ほら、やっぱり無理でしょ?」とばかりに単価をジェットコースター式に下げる・・。社会参加=移動の部分を障害者に確保するなんて社会制度的に無理だよ、と。もちろん、単価を高くしてほしい、とはいえない。移動介護の単価は確かに異様に高すぎた。それに事業所がピラニア的に群がった事実もないとは言えなかった*1。でも、適正価格は必ずある。それから<移動の自由>ということが健常者の想像を絶して大事、という感覚も。でも今やタイタニック的に障害者支援のホームヘルプ事業所は水没しつつある。あまりにもやりきれない。ひたすらにむなしい。

*1:それにしても、学生運動を経験した人々は、ヒラメ的に上ばかり見て、足元の検証と足場固めをほんとにしないな・・。労働者の権利を強く主張する従来の労働組合的な感覚を腐らせたものの一部分も、この学生運動感覚なんじゃないか。実際、団塊の世代の少なくない人々は、学生運動の熱狂から「撤退」したあと、うまく企業に就職したみたいだし。「ぜんぶ厚生労働省が悪い!」という呪文で、自分を免罪して状況をなし崩しにしてしまう。そして、この感覚は、若年層を包み込むあの「どうせどうにもならない」「仕方ない」というアキラメ感覚の中へ、世代間継承されているんじゃないか。「上が全て悪い」→「上は動かないから何をしても仕方ない」。