立岩真也さんの「ニートを生み出す社会構造は」

 http://www.arsvi.com/0w/ts02/2005018.htm


 全員がフルで働く必要がない余裕のある世の中になっている。それはいいことだ。
 生産は足りている。生産を担う働く人の数も足りている。だから仕事に就けない人が出てくる。
 働く人の数は足りているのに、「職業訓練を」「もっと労働意欲を」と若者を駆り立てても、意味がない。
 生産が足りているから、経済を拡大し雇用を増やす、というのもうまくいかない。
 それでも多くの人が働けるようにしたいなら、仕事を分け合うしかない。
 無理に多く働いて多くを取っている人は、「他の人の分も勝手に働いている」のだから、仕事かお金を分けるべきである。
 ……。


 おおむねこの「簡単さ」でいいんじゃないか、という気はする。ただ、まず「みんながフルで働かなくてすむ社会になった」という前提が、一国主義的ではないかと素朴に思う。国境を超えた労働者の出入がある。簡単にはいえない部分。国内の「みんな」にも生存の格差はある。次に、「労働」の捉え方が、やはり交換(=労働力を売る)というポイントを欠く気がする。仕事をみなで分配するとしても、ここは数量(労働価値説)だけでは計れない。交換の偶然性=飛躍の問題がスルーされる。ワークシェアを考える時、これを同時に考えねばと思った。


 ただし、立岩さんは「僕はニートや若者について、調べたり読んだりしてないので、よくわかりません。わからないときは、わからないと言った方がよいと思うので、まず、それを言っておきます」と述べているので、この題名は?です。