稀少難病のひと(とその家族・同居人)のご家庭を久々に訪問。稀少難病とは、通常の難病(特定疾患)にならず、どこにも位置づけられないタイプの難病のこと。診断名は無いが、からだの各部分に障害や不全がある。だから本人の状況がトータルに伝わりにくい。部分だけが伝わる。谷間とも言われる。いつもそのご家庭のひとたちの生活(のもちろんごく一部だけど)にふれると、ここに障害者サポートの未来形、フロンティアがある、と気持を強く出来る。かれらはかれらで自活的に生き、学ばせてもらっているのはもっぱらこっちなのだった。不自然でもかばいあいでもない形で、同じ家で同じ空間で、共に(ある意味福祉ミックス的に)暮らしている。生活財や介護力を分有しつつ、それぞれがそれぞれの形で、ゆっくりと地に足をつけている。でも行政に最低限の必要なサポートは求めたい。でも自分達より苦境に置かれた人々のことを、どこかでいつも想像している。そして日々を重ねながら、それぞれの自律的な「未来」のありかたを考える。・・そんな風に見えるのだった。草の根的な福祉ミックスの主張があり、対して行政・資本側はそれを逆手に取って互助型の家族・ボラ的福祉の潮流を進めたいのだろうが、さらにそれをもう一度ひっくり返す。そんなイメージを思い浮かべる。やはり、行政に必要なサポートを必要な分だけ求めることと、「行政だけが全て責任を負う」こととは、少し違う。