『ひぐらしのなく頃に』

 あ、マンガで『ひぐらしのなく頃に』読みました(鬼隠し編綿流し編祟殺し編)。

 『涼宮ハルヒ』は小説の1巻とDVD0巻・1巻をみたら全然ダメだったけど*1、『ひぐらし』はなんか面白い。っていうか結構凄いかも。
 ギャルゲー構造そのものに潜む暴力が突如噴出してくる。そのいやな感じ。正直、最初はべたべたのオタクパラダイス的設定(特に特徴のない男の子がいて、周りに美少女が沢山いて、適当に性的刺激や愛情を与えてくれる)で辟易したのだけど、それも意図的なシカケなのだった。非常に複雑な構造を持つようなので、全体像はまだ全然掴んでないが、構造レベルでも様々なシカケがある。
 前から、メタフィクションはむしろ、極度な実存感覚を表現するための形式だと思っていたので(佐藤友哉とか村上春樹とか)、その点も面白いな。これをメタフィクションとかゲーム的リアリズムとか「だけ」で論じて、ポルノグラフィ/セクシュアリティの問題に正面から踏み込まないと、つまらない気もするけれど。

*1:1980年前後〜のラブコメ/ギャルゲー路線を過不足なくトレース。手っ取り早くいえば、『うる星やつら』の諸星あたるとか、村上春樹的「僕」のイメージ。周りに性的刺激を適当にふりまく美少女がいっぱい。社会や他人に対し冷笑的でありつつ、ちゃっかりセクハラっぽい欲望を掠め取り続ける(空虚なボクには責任はない)。これ、本当に中高生とかが喜んで読んでるのかなあ。なんかR25世代とか30代超オタクとかが、現状に安心するために消費するアイテムって感じだけど…。経済条件や能力社会の荒んだ殺伐さとか、全然ないし。ここから何か別のディメンションへずれていくのか。エヴァ後半部みたいに。同じギャルゲー構造でも、自分は西尾維新とか読めないんだけど、村上春樹とか佐藤友哉は読める。その境界線は何処にあるんだろう。たんにメタフィクションを導入しただけじゃ、殺伐さは表現できない。って、そんなもの表現するつもりはない(むしろ想像的享楽においてそれら=「現実界」を排除したい)んだろうけど。