公明党の議員さんにグランドデザインについて話す

 知人のデイサービス施設長さんから呼ばれる。施設利用者の紹介で、公明党の議員さんが施設を訪問する。グランドデザイン・自立支援法の問題点について説明するので、同席してほしい、と。
 福祉の水準が生々しい党派的対立の水準に入ることで何かが見失われるのでは、というあまり根拠のない先入観がまずある。議員に話を持っていったから何かが本当に動くのか、という有効性への疑問もある。政治の動きで変る部分など長い目でみればたいしたものじゃない、本当に大事なのは草の根的な個々人の感覚と能力だ、という素朴な確信もある。でも、好き嫌い、動く動かないを考えるだけじゃ今はダメかもしれない、という思いもすこしある。とにかく、時間が取れたので、同席する(デイ施設長、知的障害者の入所施設職員、杉田の3名)。とはいえ、1時間ほどの短い時間。こまごました話はできない。杉田に話がふられた時には、今後は在宅の支援事業所がとくに厳しい状況になるだろう、(移動介護の激減にともない)ヘルパー事業所は厳しいだろう、と通り一遍な事柄をおおざっぱに話す。


 一連の福祉改革をみれば問題点はいくらでもある気がするが、それを伝えようとすると、もどかしくも難しい。
 たとえば難しいのは、「わかりやすく伝えよう」とすると、おおざっぱな一般論しか話しようがないことだ。すると、聞く方としては「とにかくなんとなく大変なんだな」とはわかるが、具体的な対処策、具体的に何をお手伝いできるのか、そこがいまいちわからない。逆にこまごました話になれば、話は果てしなくこまごまとなっていく。
 こちらも、どこにポイントをしぼって一点突破すればいいのか、その確信もない(例えば一つの制度が新しく出来たとして、トータルでみれば、その制度が出来たために別の制度がつぶれる、という力学はやはりふつうにあり、昨年度から今年の5月にかけて、川崎市の独自事業である「ふれあいサポート事業」をめぐって、その難しさを強く考えさせられたのだった)。
 結局、その議員さんからは、「個別の当事者の、個別の状況を、具体的なデータと共に(今後生活費がいくらいくらになる、どの部分のお金がいくら足りなくなる、云々)教えてほしい」と言われた。
 それしかないよな、と思う。


 例えば、施設入所者は、サービス料として障害者年金をかなり取られてしまい、手元に残るお金は、毎月15000円〜25000円程度になる、とされる。これが純粋な「おこづかい」(?)ではない。このお金から、日常品費や医療費その他を出さなければならない(例えばぼくの知人の入所者は、タバコ代、携帯代の心配をしていた)。また、作業所などで働いている人は、月に数千円〜2万円の工賃を得るために、お金を払って作業所へ通わなければならない、などの矛盾が生じる(ちなみにそのデイでは、お給料は5000円ほどだが、施設に通うことで、食費を含めると18000円くらいの応益(?)負担がかかる、身体障害の人はもう少し高くなる)。グループホームの利用者の負担も大きい、と予測され、「親元からホームへ」「入所施設からホームへ」という地域移行の流れが、今まで以上にうまくいかなくなるかもしれない。


 当初強かった「とにかく就労支援!」という雰囲気は、少しトーンダウンしているが、就労支援がコアにある点は変っていない。
 グランドデザインをみて、とにかく入所の人は大変、とまず感じる。確かに、入所者の年金に家族・親戚がたかる、貯金だけがたまる、という状況は一方にあり、今回の入所者からのサービス料徴収はそれをねらっている。でも、他方で、ぎりぎりの生活をしている入所者もふつうにいるわけで、その人たちの生活がきびしい、と誰がみてもわかる(その入所施設の職員は、訴える部分を強めるためにやや強調した言い方だったけど、施設内だけで生存を続けることは出来るが、外出も趣味もできない、ある意味で刑務所と変らない生活になります、と言っていた)。生活保護へ陥るのを防ぐため、独自の調整(生かさず殺さず、といった感じ)もなされる。まだ中身の固まっていないグループホーム生活者も、ヘルパーを使えなくなる可能性が現状では高く、特に「外出」(移動介護)の面はかなり厳しくなるだろう。
 仮に一般就労への支援が順調に進み、(経済的)自立的生活へ移行する当事者が増える、とする。でも他方で、福祉サービスを使いながら自律的に暮らすタイプの在宅生活者が増えていくとは、現状ではどうみても思えない。家族支援がないと、難しくなる。確かに入所者は年金をかなり吸い取られ厳しくなり、それが地域移行(施設脱出)への圧力になると考えているのかもしれないが、グループホームも一人暮らしも厳しいとなれば、施設から出るモチベーションは十分に上がらない気がする。障害者年金の改善の話も聞かない。結局、一部の人間の一般就労と、多くの人びとの「家族介護」への逆行、という形に素朴に落ち着いてしまうんだろうか。


 ああ、話が今日もまとまらない。