サウンドデモ、併走



 最近は、っていうかいつものことだけれど、体も頭も大変濁っている。仕事以外殆ど何も出来ていない。全てにおいて面倒で億劫だ。一瞬精力的になったかと思うと、すぐに体が動かなくなる。ぜんまいを巻くのに時間がかかる。そして、その、繰り返しなのだった。ので、先日雨宮処凛さんにお会いした時、教えてもらった下記のイベントにも、参加できるかどうか、するかしないか、まあ実際悩んだというほど悩んでもいないんだけど、なんかうじうじどうしようかなー、と、ずっと決めかねていた。今日も、恋人と午後遊びに出かけようと思ったけど、相手の都合が悪かったので、じゃあということでポテポテ秋葉原に向ったのだった。


http://sounddemo.nobody.jp/


 一つだけこうしよう、と思っていたことがあって、デモには「参加」せず、「見学」しよう、と。ずっと付かず離れずで「併走」というスタンスを取ろう、そこから見えてくるものを見よう、と。いかにも中途半端で、無責任ではある。我ながら中途半端な自意識過剰めいていていやにもなる。しかし、最初から、見学するならそうしよう、という思いだけは動かないで腹の底にあった。


 詳しい報告やら総括?やらは関係者からあると思うし、私は自分が見聞きし感じた事柄を若干、スケッチするだけしかできないのだけれど。


 少し離れたところからデモを眺めると、警察・公安の人々によるデモ行進にしか見えません。デモ参加者より、警察・公安の人々の方が、数がずっと多いんだもの。装甲車?とかがさらにそれを取り巻いている。周囲からは、場所によっては、肝心のデモの人々の姿もあまりみえない。どうやら、デモ参加者と一般の通行人を、出来るだけ完全なかたちで遮断=隔離してしまう方針のようだった。驚いたんだけど、デモのビラを通行人に配ることも、警官たちは禁じていた(これはどういう法的根拠があるんだろうか?)。直接叩くのではなく、ゾーニングしていく、ってことかしらん。実際、警官や車に取り囲まれているので、通行人やあとから合流した人々がデモに途中参加することはできないし、参加者から聞いたところ、途中でデモから抜けることも許されなかったのだという。


 私は、なるべく、通行人たちの言葉に耳を澄ませ、それを書き留めるようにした(といっても、想像以上に周囲の音がうるさくて、あまり聞き取れなかったのだけれど)。


 ○「なにやってんの?よくわかんなくね?」(10代後半くらいの男性、数名のグループ)
 ○「フリーターだってよ(笑)」(20代前半くらいの男性、数名のグループ)
 ○「(…)ちゃんと働いている人のじゃますんなって感じ」(中学生くらいの女の子、二人連)
 ○「フリーター?俺たちもなるかもね。ハハ」(20代前半くらいの男性、数名のグループ)
 ○「なに?お祭り?」(30代くらいの女性)
 ○「珍しいものみれてよかった」(20代中盤くらいの男性、たぶんオタク系グループ)
 ○「働かなくても金くれってこと?ありえなくね?」(20代男性、カップル)
 ○「じゃまくせーなまじで」(小学生くらいの女の子、グループ)
 ○「うざいんですけど」(10代後半くらいの男性、グループ)
 ○「…プレカリティ……プロレタリアート……」(南米系の外国人、夫婦?、ビデオ撮影しながら)
 ○「えっと、フリーターっていうのは…」(電気店の若い男性店員と、売り子さんらしいアンナミラーズ風のピンクのメイド服を着た女性が、背の高い外国人男性に、デモの説明をしていた)


 あと言葉には乗らない動きとかも当然色々あって、通行人の視線も気にしながら歩いていたのだけれど、全般的に、10代後半くらい〜20代くらいの男性たちは、否定的・冷笑的な感じではなく、どちらかというと興味深そうにデモをみていた。それと、様々な外国人(だと思う)人々が、かなり真剣な感じでデモを眺めていたのが、印象に残った。


 デモに参加している人々の全体の印象は、「百鬼夜行」って感じだった。年齢も性別も容姿もかなりばらばら。いかにも活動派風の男女もいれば、年老いた人も、車椅子の男性も、メイド服・ゴスロリ・浴衣を着た女性なんかも中には混じっている。そのバラバラな感じがなんともいえない。悪くない感じだ。みんな身体の動き方が変な人が多く、ビール飲みながらだらだら歩いてる人もいれば、くにゃくにゃと体をくねらせながら歩くメイドのお姉さんもいて、それも全然統一感がなく、これもなかなか悪くない感じだ。


 で、音楽はともかく、拡声器での主張が、これも人によってずいぶん口調やら内容も違ったようなんだけど(っていうかあんまり聞こえなかったんだけど)、一つだけ言えるのは、これは確かに、いわゆる「左翼的なアジ」っぽい内容の言葉は、デモのあり方(身体)そのものと、ずいぶんずれているな、マッチしていないな、という気はどうしてもした。別にいわゆる左翼批判をしたいとも思わないんだけど(これは今時誰でもいう)、実体とそれを表現=代表する言葉のあり方がくいちがっていたのは事実だと思う。そもそも、いわゆる左翼系の人々の声って、なんであんなにうるさくて、耳障りなんだろうか。自閉症精神疾患系の人が確実にいやがるだろうっていうか。


 たぶん、こんな百鬼夜行的なデモ行進のありかたを「表現」する言葉のスタイルは、参加者のひとたちはまだつかんではいず、今後色々と模索されていくだろうものなのだ。


 こんな境界線から見えてきたもの(それはたぶんあのゾーニング=分断=隔離とは対極にあるようなもの、それに抗していくようなものであるだろう)を、押し開いていく人たちがきっとこれからいろいろなかたちで出てくるのだ。


 って、そのあとの討論会?で、「もやい」の湯浅誠さん(なんか論理的なところや細長いけど力ありそうなところが生田武志さんを思い出させた)の話を聞いていたら、現地で出会った友人の女性が体調を崩し、そのまま部屋から出て廊下で二人でだらだらしゃべっていた。討論会の話も聞かず、かといって新しく交流の輪をひろげるでもなく、結局その知人女性は体調不良で早めに帰宅し、私もそのまま適当なところでもやもやしたまま会場をあとにし、新宿で別の友人と落ち合って食事をし、彼ともだらだらしゃべって帰ってきたのだった。