ネウロと絶対悪

 『ネウロ』の今週号はやばかった。
 X(サイ)を超える「絶対悪」の唐突の登場。アイは唐突に殺され、Xすら次号で虐殺されそう。
 Xは悪というより、「自然」そのもの、という感じだった。無邪気で、自分の目的のために邪魔な人間を排除することはあっても、そこに善も悪もない。ただ、細胞が変化し過ぎて「元の自分」がわからなくなり(男か女かも、年齢も、人種も)、自分の見失ったアイデンティティをひたすら探しているだけで。
 「絶対悪」は力や能力にあるのではなく、頭脳の中にある、と言う。「絶対悪」は「自然(善悪の彼岸)」ではない。悪自体の絶対的な純化が目的なのだ。
 アンドリューの殺され方も凄い。あらゆる苦痛を与えられ「顔と内臓だけ残っている」状態で(『ハンニバル』を意識したのかもしれない)、最後に「笑え」と。
 これから松井さんが「絶対悪」をどこまで描けるかは、ジャンプの表現規制との格闘になるだろう。『ハンター×ハンター』はジェノサイド漫画であり、ジャンプ形式の「ライバルとの格闘」=「敵は友」という感情の癒着と転移を断ち切ったところに凄みがあったが、それはやはりX的な「自然」の暴力に近いという気がする(ヒソカなんかは少し違うのか?しかしヒソカはむしろ享楽殺人者だろう)。ジェノサイドと絶対悪の暴力は違う。
 『ネウロ』がどこまでそれを描けるのか。
 やばいことになってきたな。
 (「絶対悪」だが、最初見たときに「黒いキリスト」をイメージしたのかな、という印象があった。これもやばめ。『スティール・ボール・ラン』でも、キリストの遺体を集めているわけだが、最後の敵(?)は(大統領なんかじゃなく)復活したキリストになるのかもしれないし。『ストーンオーシャン』のプッチ神父は「天国の実現」を目指してカルヴァニズムの予定説を「人類全体の幸福」としてスタンド化するわけで。)