【再掲】浅尾大輔『ブルーシート』論





 【再掲】将来の労働/生存/文化運動を削る試金石――舫いとしての浅尾大輔『ブルーシート』 (「国文学・解釈と鑑賞」、二〇一〇年四月号、学燈社、加筆修正あり)


 グローバリゼーションのもとの新しい多元的な貧困の形。国内でそれに与えられた名前は〈フリーター〉だった。現在の私たちは、年越し派遣村の報道/湯浅誠の国家戦略室内閣府参与への登用/民主党政権の誕生などによって、「すでに一定の決着をみた」というある種の弛緩した空気の中にある。そもそも、先進国での社会運動なんてものは自己実現や承認ゲームにすぎないのではないか、格差や貧困の問題は、財政出動/金融政策/情報技術などによってマクロ的に解決されるべきものだ、云々と。こうした「よき全体主義」の空気の中で、私たちが強いられているはずの様々な敵対性(対立)は不断に断片化され、飼い慣らされ、無化されていく。
 だが、何も終わっていない。問いは、今もなお、古くて新しい。すなわち「構造と自由」「政治と文学」の問題を、同時的に問い直すことにある。私はむしろ、次の一撃を待ち望む。「あらゆるみじめさを温存することによって生きながらえ、それ自体が統治のみじめさにほかならないような統治組織の枠内に閉じこめられて、あらゆる社会層が相互に息苦しく圧迫しあい、無為の沈滞が一般化し、偏屈さが自負したりみずからを見誤ったりしている、こういう状態を描きだすことが肝要なのだ。/何という光景であろうか!」(マルクスヘーゲル法哲学批判序説』)。これは魯迅の「絶望の虚妄なることは正に希望と相同じい」という意味での〈絶望〉であり、希望や絶望についてのお喋りを超える言葉の手ごたえをつかまねばならない、ということだ。事実、最近の各地での労働運動や社会活動は(私が属するいくつかの活動をふくめ)、そんな閉塞や疲弊の中で、息苦しく窒息しはじめている。
 すると、「何」が私たちを、労働/生存/文化運動のさらに「先」へと促していくのか。
   *
 ここでは、浅尾大輔――共産党員で、もと労働組合の労働相談員で、超左翼マガジン『ロスジェネ』編集長で、新聞配達やバイトを続けながら小説を書く文士――の第一小説集『ブルーシート』を読んでいく。『ブルーシート』は、現在の労働/生存/芸術運動の硬度を見定める試金石となりうる。浅尾の『ブルーシート』は、いっけん私小説風のプロレタリア文学である。かつての小林多喜二『党生活者』、中野重治『むらぎも』、中上健次『一九歳の地図』等の系譜をおのずと連想させる。しかし、浅尾が過去のプロレタリア作家たちの魂を〈そのまま〉生きようとするのを見る時、私は不思議なめまいを感じる。今時こんな反時代的な人間がいるのか、と。浅尾の行動原則は、きわめてシンプルだ。自らの実人生でそれを実行できないならば、自分はそれについて何も書かない、という原則である。
 『ブルーシート』という小説を「読む」とは、浅尾がそれを書くことに費やした一〇年の暮らしの重みを、私たちが全身に沁み渡らせつつそれを「読む」ことだ。
 「永遠の朝の国」(一九九九年二月)と「家畜の朝」(二〇〇三年一〇月)は、中上健次ラテンアメリカ文学その他の文体模倣を試みた習作だが、二〇〇〇年代後半に執筆+加筆されている「ソウル」(二〇〇六年一〇月)と「ブルーシート」(二〇〇九年春)の文体には、浅尾に固有の、ゴツゴツした異物感と硬度が感じられる。何が浅尾の中に、その変化をもたらしたのだろう。終りばかりかどん底すら見えない地道な労働運動や労働相談の日々の中で――彼はそれを「モグラ叩き」と自嘲しているが――浅尾は、「そもそも現実ってのは、いま、文学のそれをはるかにこえてしまっている」(「ソウル」)、現実が凄すぎて何も書けない、という言葉の暗礁にのりあげる。浅尾のその失語は、私たちにこう問いかけているかのようだ。君達は一度でも現実の酷さに失語できたか、何も書けなくなって文体破壊を強いられるほど誰かに寄り添い続けたことがあるのか、と。
 さらに大切なのは、浅尾が自らの「小説の書けぬ小説家」(中野重治)としての失語を、自分だけの力では絶対に破れなかったことだ。「私自身の創作上の行き詰まりは、若者たちの勇気あるたたかいが打開してくれたのだと確信するに到りました」(「あとがき」)。そう語る彼の言葉には、啓蒙精神も商業主義もジモトカルチャーへの自閉をも断ち切った、静かな自信がみなぎっている。ただしそれは、中野重治がいう「感情の組織化」による「アジテーション」――かつての「芸術大衆化論争」の過程で、通俗化と面白さへの追従を批判し、必要なのは当事者の「ありのまま」を描くことだ、と述べた――とも、何かが違う。そもそも浅尾は、何かを書いているのではない。切迫的に誰かに書かされてしまっている。
 浅尾の小説内の会話や内省のあり方は、奇妙に劇画的なものである。異様な涙の量。精神の熱さ。時にそれは地の文をも侵食する。たとえば「ッ」の多様として(彼の小説では風は「びゅんッ」と吹き、レンジは「チンッ」と音を立てるのだ)。そもそも、プロ文全盛期の『戦旗』や『改造』は、商業ジャーナリズム的に売れた。大正末から昭和初期、円本ブームや大衆小説の出現の中で、プロレタリア文学は――新感覚派との論争などを経ながら――多数の読者に読まれるための形式(書き方)を探し求めた。ロシアアヴァンギャルドドイツ表現主義などの技法も旺盛に取り入れた。小林多喜二は、豊多摩刑務所内で雑誌『キング』を熟読し「事もなげにあしらってはならぬ」と自省し、「雑踏している電車の中で読んでも、そのまま頭にくるような」「電車小説」、壁に貼って読んでもらう短い「壁小説」、全国各地の工場や農村の労働者がその刻々の闘争状況を報道し通信する「報告文学」など、様々な小説的実験を試み、また構想した(萩野富士夫編『小林多喜二の手紙』)。つまりただ「売れればいい」のではない。「イデオロギーを外部注入する」のでもない。そこにはこの世界の読者に言葉を「届ける」ための、迷走と試行錯誤があったのだ。
 そうした多喜二を深く敬愛する浅尾の小説は、もともと、一切「改行なし」の「読者の息継ぎを許さない」文体だったという。しかし「ブルーシート」執筆時、編集者から原稿の改行を迫られた浅尾は、そこから「文字通り自分の肉体を切り刻む痛苦」を経験する。そしてその先で「底を打ったところからの渾身の浮上力」を得る(「文体を壊すということ」、『一冊の本』二〇〇九年一二月号)。この文体破壊とともに、浅尾の肉体の地金(マンガ性)もむき出しになっていった。浅尾はマンガを通して現実を見るのではない。マンガ「として」の現実の過酷さを〈見させられていく〉。
 労働運動も労働小説も、どんなに真剣で真面目な行動も、すでに劇画的で滑稽で記号的にしか見えない。それが私たちの置かれた社会的な条件そのものではないか。浅尾はむしろ、そうした「プロレタリア的、マンガ的」な状況を、積極的に活かそうとしていく。
 たとえば「ソウル」は、「歌のわかれ」ならぬいわば「フリーターのわかれ」の物語である。主人公の青年が、身の回りの労働者たちのうんざりするようなダメさに直面し、彼らへの無限の疑惑や疲弊を強いられながらも、しかしやがて彼らを「丸ごと」信じ始めようとするまでの物語だ。すなわちそれは、一人のフリーターからコミュニストへの転回=信念更正の物語と言える。しかしその時青年は、たんに左翼イデオロギーに感染したのではない。生活の重苦しさの中で糞詰まりに溜め込まれた怒りや哀しみが下半身の限界を超えて爆発的にひりだされた大便、その大便的な「笑い」(バフチン)こそが、浅尾的なコミュニズムの原光景となる。


 《(略)腹の底から救いのない怒りが沸いてきて、思い切り笑ってしまったのだった。
 ウワッ、アアア……!
 横隔膜からすべての呼気が尽くされるほど、ぼくはひとり腹を抱えて笑い、そのうち涙が目尻から流れ始めて、拭っても拭っても止まらないので、「タ、タイム! トイレ、トイレ」と言い、そのまま事務所の便所に駆け込んでズボンとパンツを一緒に降ろして便器に尻をつけたら、ずっと我慢していた大便が一気に放出されたのだった。》


 これは山城むつみ『転形期と思考』が注目した椎名麟三の、絶望して死のうとする度に不思議な便意を催して「死ねない」という感覚、頭脳や洗礼によってではなく「大いなる便意」の只中でこそキリスト者の信仰に目覚めさせられていくというヒューモアの感覚を思い出させる。しかし、浅尾の眼差しは、椎名や山城のそれとも微妙に異なる。すなわち浅尾の眼差しは、自らがひり出した大便の中に、風俗の仕事で妊娠し帰国する韓国人女性と一緒に飲んだユッケジャンスープの唐辛子色や、若い青年の苦しい気持ちに呼応するかのように肛門の周りに出来た「沖縄名産物海ぶどうのような血瘤」が破裂した「ヴァーミリオン」色が分かちがたく雑ざり合っているのを、ただ見つめるのである。
 さらに「ソウル」の大便的なコミュニズムは、その直後に、「ブルーシート」によって再び散文的な現実の無慈悲さによって試される。すなわち「ブルーシート」においては、資本主義の末端の荒波に翻弄される人々が、それでも繋がれず、立ち上がることもできず、ひたすら断片化し、投げ出されたままになっている姿が、荒々しく、叙情的にスケッチされる。
 このバラバラさに対して、浅尾が発見していく戦いの原理とは、何か。
 私が読み得た限り、そこには、三つの水準(安堵、やさしさ、自己犠牲)がある。
 「ブルーシート」の語り手の青年には、底辺労働者たちの鬱屈やバラバラさにも関わらず、恋人ゆう子をベランダで抱き締めた時の一体感と夕日の記憶が、特権的な光景としてあり、物語の断片はこの「燃えるような夕日」の「信じられないほどの安堵感」へと溶かし込まれてゆく(1)。しかし、これは労働者たちの連帯の模索というよりも、男女の恋愛へのロマンチックな逃走に過ぎない。しかも、人間の苦しみには、彼が思う以上の無限の多様さ、わけのわからなさがあるはずだ――この私の心からの同情や愛をも、その無限の突き放し方によって突き放してくるものが(たとえばゆう子は、近寄る彼を「気持悪い」と突き放すかもしれない)。そもそも「苦しむ女/それを見守って導く男」という構図自体が、『党生活者』や「ハウスキーパー問題」を巡る論争で摘出された左翼活動家の暴力そのものではなかったか。
 ただし浅尾は、同時に、夕日の赤さの「安堵感」を繰り返し「その萌芽」「いや、わからない」「まだ、全ッ然、わからないんだ」と細かく打ち砕いて行く。意識のレベルでは「希望は連帯」と述べながら、無意識のレベルでは「連帯にはまだ早い」と突き放そうとすること。そこに浅尾のぎりぎりの批評性がある。
 そしてこのナイーヴな疎外論にも見えかねない「安堵」の先で、浅尾のコミュニズムは、〈労働者を信じろ、たとえ彼らから何度も何度も裏切られたとしても〉という信念=「やさしさ」として結晶化していく(2)。正確に言えば、彼は、「労働者がわれわれを裏切ることが何千回あっても、われわれの側から働く者を絶対に裏切っちゃいけない」という先輩共産党員の倫理的な言葉によって、決定的な「去勢」(柄谷行人)を味わったのだ。
 この私を絶対に裏切る労働者たち。
 たとえばその太宰治論の中で、浅尾は執拗に「イエスのユダへのゆるし」のあり方に注目している。「イエスは、銀貨三十枚で裏切ったユダを許している。なぜか。イエスは、ユダが銀貨三十枚を何に使おうとしているのか知っていたからである」。
 間違いなく、浅尾は、この時、他者の裏切りを――その悲しみの中心において――無限に赦し続けるイエスの存在に、自らの肉体を重ねようとしている。かつての「ロスジェネ」の朋友である紙屋高雪が、浅尾のいう「全部抱えていく」は、「本気でそう決意すればちょっと恐ろしいほどの決意」であり、人間が抱えきれるものとは思えない、という違和感を吐いたのも、当然である。浅尾の言わば「全生涯的感情」(『党生活者』)としての「やさしさ」は、「君たちは負けないで生きていってほしい、ぼくはもう駄目だけれど」という自己犠牲によってはじめて結実する「やさしさ」であり、「希望はある。しかしそれは君のためにはないのだ」というカフカベンヤミンの言葉の恐ろしさとも重なっていく。
   *
 「あとがき」には「私の第一創作集の印税すべては、反貧困ネットワーク首都圏青年ユニオンに寄付することにいたします」とある。
 浅尾の長年の労苦や慢性的な体調不良を知る人間にとっては、この言葉は、重苦しい呪いのように圧しかかってくる。浅尾は、活動上の無償労働はもちろん、喘息に苦しんで我が身を滅ぼしながら稼ぎ出した文字通りの「身銭」――「労賃ではなく(略)命を削って紡いだ言葉と換金された原稿料」――をすら、惜しみ無く他者に分け与えるのだ。彼にとって「書くこと」とは、次の格率を、病身の我が身に受肉することだった。「書くためにカネを儲けなければならないが、しかし、食うために、生きるために書いてはならない」(「夏目漱石『道草』について──コミュニズムまでの「寄り道」」)。この時浅尾は、ほとんど、「書くこと」を「いまげんざいの資本主義的な交換過程から離脱するところで成立するような新しい世界を目指すこと」へと――オルタナティヴな交換のあり方へと――開こうとしているに等しい(3)。
 すると、そんな人間の生き方=書きざまを、読者としての私たちが「読む」とは、どういうことか。
 浅尾が、多喜二やイエスの自己犠牲に自らを重ねる時、彼はむしろ、かつて他者から与えられた贈与を返済しているだけなのかもしれない。だからこそ、彼の自己犠牲には終りがないのかもしれない。
 だがやはり、何かが違う。何かが間違っている。他人の苦しみに同調し、苦しんでいるあの人たち以上に苦しまなければ真の「左」ではありえない、という倫理は、そのまま、彼が向き合う資本主義の暴力(苦痛のインフレ→死という悪循環)をなぞるからだ。無節操なゆるしは他者を甘やかし増長させる、と言いたいのではない。他者を生かしながら殺してしまう、と言いたい。しかもそれは、無意識の交換のレベルで、周りの人間たちへも自己犠牲の感染を強いるのだ。この贈与の悪循環を断ち切らない限り、私たちは、多喜二の亡霊を永久に祓うことができない。
 すると必要なのは、むしろ、他者の裏切りを無限に赦す態度こそが最悪の〈裏切り〉になりかねないという怖さに躓くこと、慢性的な自己破壊をどこかで断ち切って、やがて来る『ロスジェネ』からも共産党からも遠く離れた場所で、健康に長生きし、息の長い文学を書き継いでいくこと自体を一つの「闘争」と化していくための、生活条件の準備と肉体訓練なのではないか(大西巨人神聖喜劇』、中野重治『甲乙丙丁』、柄谷行人トランスクリティーク』を思い出す)。
 さまざまな追い風はすでに止みつつある。再び荒涼とした風景が目の前にある。だがそれは、追い風以前から孤独に戦っていた浅尾にとっては、むしろ見馴れたもの、親しいものであるだろう。もちろん私たちの現状は、大逆事件の影や逮捕拷問に怯えるプロレタリア作家たちのそれとは、まったく異なる。しかし、「党」(ソ連共産党)の絶対性のみならず、「敵」(資本家)の絶対性すら疑わしい、しかし資本主義の過酷な暴力は依然として在り続ける、人々の声を呑み込んでいく「忘却の穴」は至る所にある――そうした吹きっさらしのもとで(ナルプやNAMの失敗を批評的に継承しつつ)新しい労働/生存/芸術運動を「もう一度!」(『蟹工船』)はじめなおす、とはどういうことか。それは浅尾的な存在の病身をすら同時に生かすものであるだろう。誰かの自己犠牲的な贈与なしには万人が生きられない、という資本制の構造自体が問われるはずだからだ。
 むしろ、各人が「ひとり」として、ありのままに生きることがそのまま相互贈与(生かし合いの連鎖)でありうるような、そうした交換の定式をつかむこと。
 おそらく浅尾もまた、資本制が強いる分業と人間関係が強いる孤独を同時に描き尽くし、かつ、それらを一挙に同時揚棄するものとしての〈文学〉を産み落とすための長い懐妊期間に入りつつある。夭折した多喜二たちの亡霊を飲み尽して、浅尾の精神と身体に唯物論的な「奇蹟」が訪れる日が、いつの日か、きっと来るだろう。