「男の性」について「加害者」と「被害者」から考えること



 【後記】データの貼り付けを間違えて、一部、言葉遣いが目茶目茶だったので、直しました。すんません。


 下記のような本を読んでいた。以下、単なるメモとして。
 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080216/p1で書いたような「男性のセクシュアリティ」「男の性」について考えていくなら、その先で、いつか「被害者」と「加害者」という論点にぶつかるのを避けられないと思っていた。またhttp://www.allneetnippon.jp/2007/08/3_10.htmlで書いたようなことをもっと明晰化したい、ということもあった。死刑制度や児童ポルノのことも頭の隅にあった。


 そもそも「被害者」と言っても、犯罪/災害/事故/児童虐待/DV/性暴力などでずいぶん違いがある。また「加害者」と「被害者」は必ずしもワンセットで捉えるべきではなく、独立的に捉えた方がいい場合もある。
 その上で、ぼくが身近なこととして考えなきゃなと思うのは「加害者の中に重層的に折り畳まれた被害者意識」のことだった。
 ある種の加害者――特に親密圏としての家庭の内部で習慣的に暴力を振るう人――は、自分の加害性をそもそも認識できない。のみならず、社会が悪い、相手(妻や子)が悪い、と責任を相手に転嫁し、自分を免責する。さらには「殴るのはお前のためだ」「愛しているからだ」と主張する。
 DVや虐待の場合は、加害者が被害者意識を持ち(殴らざるをえなくしているのは妻の方だ)、被害者が加害者意識を持つ(夫に殴られるのは私が悪いからだ)、という構造的なねじれが生じる場合もある。ここでは「被害」も「加害」も、奇妙なことに、ともに消えてしまうのだ――あるいは、それこそが最悪の《暴力》なのかもしれない(殴られ罵倒されながらも被暴力の自覚がうっすらとでもあるなら、まだ抵抗の意識があるはずだから*1)。
 他人に暴力をふるいながら加害者意識が本当に全く無いタイプの人も多いが、自分の加害性に無意識に気付いているからこそ、一層暴力を振るい続けるというタイプの人もいる。
 加害者にとって必要となる最低限のクリア条件は、自分の「加害」をしっかりと自覚することである。しかも、頭の理解ではなく――頭だけの理解は実は危険だ――、心からの実感として。それは非常に困難を極めるし、時間がかかることだけれども。
 その上で、相手との関係を再構築することが必要かどうか(被害者がそれを望んでいるかどうか)、必要であるならばそれが現実的に可能かどうか。そういうふうに足をすすめてみる。


 これは、男性のセクシュアリティの問い直しや書き換えと関わる。信田も言っている。《男性には自らの性を問いかけてもらいたいと思う。本書で描いたような他者の目に触れないところで行使される暴力を、男性性への問いかけのきっかけにしていただきたい。私にとっては、男性の暴力や性(セクシュアリティ)はいまだに謎のままなのである》(203p)。
 もちろん、公的機関や第三者の介入が必要な場合も多い。応報と監禁だけではない。加害者の更正や社会復帰を、という社会的な整備もまた、少しずつ進んでいる(司法+福祉・臨床の連携)。DV加害者へのアプローチは、一九七〇年代のアメリカで始まった。当時の女性運動の高まりの中で、女性たちは家庭の中で殴られる女性たちの救済を国に訴えた。一九八〇年代にはアメリカの各州で刑事・司法制度が整えられ、その中から、刑罰に代わる加害者への更正プログラムの受講を命じるダイバーションシステムなどが構築される。これは広い意味での「修復的正義(司法)」の潮流へも流れ込む。日本の行政は加害者臨床にまだまだ消極的だが、二〇〇〇年代から、カナダの実践などに学びながら、少しずつ取り入れられてはいるようだ*2。これには批判もある。加害者をより狡猾にするだけではないか、など。しかし、実際、被害者こそが加害者の更正と謝罪を望んでいる場合もある(特にDVなどのケースでは、生活費や子どもの問題などがあるから、たんに緊急避難だけではどうにもならない)。
 先進国カナダでの性犯罪者処遇プログラムについて、信田はこう述べている。


 《刑務所でのプログラム実施者は、どれほど凶悪な犯罪者であろうと、彼らが「変化しうる」可能性を信じること、彼らを一人の人間として尊重してかかわることが求められる。この基本的姿勢はいささかオプティミスティックに映るかもしれないが、一九八〇年代より試行錯誤しながら性犯罪者処遇プログラムに取り組んできた先進国カナダにおける、これが一つの到達点なのである。》(177p)


 その先に、たぶん、被害者の側から言えば「赦し」の可能性がある。加害者の側からは、「謝罪と償い」の可能性がある。具体的な二者の「関係」としての。たぶん…。このへんのアポリアについては、またエントリーを改めて。


 こういうことを、自分の実経験に即して具体的に考えたい、考えるだけじゃなくて生活改善していきたいと思っているのだけど、本当に本当にしんどいことだと思います…。


加害者臨床―憎しみの環を断つために (現代のエスプリ no. 491)

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性犯罪被害にあうということ

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*1:前にfont-daさんからご教示を受けました。

*2:信田らは、「加害者支援」や「加害者のケア」という言い方はしない、と言っている。加害者と被害者の間の非対称性は残るから。