最近の仕事(宮崎駿の「折り返し点」)



 ◆「宮崎駿の「折り返し点」――『もののけ姫』論前哨」(58枚、「すばる」2016年4月号)


 昨年の春ごろから、『宮崎駿論』(2014年4月)の続編を書き継いでいました。
 前著では十分に論じられなかった1990年代後半の、宮崎駿の「折り返し点」の意味について、そしてそれ以降の宮崎氏の仕事について、もう一度向き合って何かを考え直してみたいと思いました。
 大人の仕事って何だろう。大人の責任とは。善悪や美醜を切り分けない〈子ども〉たちの眼差しのラディカルさを、平凡で地味な大人の(リベラルな)仕事や暮らしに接続できるのか。宮崎駿の悪戦と苦闘に重ねながら、僕もまた自らの問いを「折り返す」ことができるのだろうか。そんなことを考えたいと思っていました。中島岳志浅尾大輔大澤信亮、各氏らの『宮崎駿論』への書評=批評によって背中を押されたという気もちもありました。
 続編の中心になるのは、『風立ちぬ』論と『もののけ姫』論です。
 『もののけ姫』論は、「すばる」に三回に分けての掲載予定。今回はその第一回です。
 ……それにしても、宮崎駿という人の作り出す世界は、非力で凡骨な僕などの手には余る、巨大な神々の山巓であって、何度全力で挑み、その時々の僕の持てる力で最強最高の批評を書いても、根本的な何かを汲み尽せた気がしません。
 批評家の小林秀雄は、ドストエフスキーという巨大な他者に出会って、30年に渡って批評を書き継ぎ、のちに結局は未完で失敗した、と言っていたけれども、小林ほどの批評家ですら――と思うならば、宮崎駿の世界に対する僕のささやかな挑戦は、折り返し点どころか、ようやく、まだ山裾のあたりに差しかかったところかもしれません。
 次回(2)は、近藤喜文監督の『耳をすませば』を論じます。


すばる 2016年 04月号[雑誌]

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