最近の仕事(白石晃士論ほか)



 昨年の10月〜12月頃は絶不調で、何も書けず何も読めない日々だったんですが(『戦争と虚構』の作業が終ったあとからだと思う)、年末年始辺りからリハビリ的に、短い文章を書いていました。生き方働き方書き方を見つめ直す時期なんでしょう。それと『ジョジョ』の雑談会もアップされています。よろしければ。


 ◆「矢吹康夫『私がアルビノについて調べ考えて書いた本』書評」(共同通信、2017年12月)
 ◆「白石晃士と神的映画」(10枚、「現代思想」2018年3月臨時増刊)
 ◆「歴史修正のために、雑然と――福岡・熊本旅行記」(4枚半、「新潮」2018年3月号)
 ◆「『ジョジョ』座談会」(「クライテリア」ブログ、http://criteria.hatenablog.com/entry/2018/01/26/232028


お知らせ(ポリティカル・フィクション批評宣言?)

 作品社のウェブに、杉田俊介ジョジョ論』の「序文」、『戦争と虚構』の「はじめに」、藤田直哉シン・ゴジラ論』の「序」、笠井潔『テロルとゴジラ』の冒頭部分がそれぞれアップされています。


ジョジョ論』
http://www.sakuhinsha.com/nonfiction/26337.html
『戦争と虚構』
http://www.sakuhinsha.com/nonfiction/26603.html
シン・ゴジラ論』
http://www.sakuhinsha.com/nonfiction/26122.html
『テロルとゴジラ
http://www.sakuhinsha.com/nonfiction/26061.html


 笠井潔氏と押井守氏の対談本『創造元年1968』を含め、作品社刊行のこれらの著書は、互いに星座のように関係しあう内容になっています。叢書とはまだ言えませんが、政治と芸術を同時に理論的に論じる「ポリティカルフィクション批評(PF批評)」のための一つの拠点を作っていければ、と考えています。笠井・藤田・杉田の連続対談も近日、作品社のウェブに掲載予定です。題名は「ポリティカルフィクション批評宣言!」という感じになるかと。他にも様々な著作や企画が連動していくはずです。
 ここからは杉田個人の見解ですが、右派は「芸術や文化に政治を持ち込むな」という時勢主義的な抑圧に腐心し、リベラル派は「近代経済学や政策論に基づいて語れ、もしくはアカデミズムに準じろ、無力な文化左翼は黙っていろ」というシニシズムを振りまく中、「政治と芸術」の問題を再検討し、いわば文化左翼(左)的な批評の強度を取り戻し、政治的美学批評をリブートすること。ベンヤミンバフチンドゥルーズも、そういう観点なしに読めるとは思えません(ここでいう文化左翼とは、文化やコンテンツの問題「だけ」を語るのではなく、それらと資本主義やグローバルな労働の問題を重層決定的に「同時に」論じる立場のことである、と個人的に考えています)。
 地道に地味に、じわじわと活動していくつもりですので、注目しておいて頂ければありがたいです。

2018すばるクリティーク賞

 本日発売の「すばる」2018年2月号に、2018すばるクリティーク賞の受賞作と、選考座談会が掲載されています。一選考委員としてのおもいのたけは座談会で語り尽しています。
 近本洋一氏の丹下健三論には、選考委員全員がAを付けました。満場一致の決定でした。恐るべき天才肌です。ぜひお読み下さい。佳作のお二人の存在も覚えておいて頂ければ。
 また、引き続き第2回目のクリティーク賞も応募がはじまりましたので、批評の志ある方はご応募を。全力で読み、全力で審査します。
 よろしくどうぞ。


http://subaru.shueisha.co.jp/critique/history/


すばる2018年2月号

すばる2018年2月号


2017年を振り返ると

 今年は『宇多田ヒカル論』『ジョジョ論』『戦争と虚構』と、3冊も本が出せました。ありがたいことです。「2017年は文芸評論元年にする」と宣言していましたが、予定とはちょっと違う形になったものの(『柄谷行人論』の連載をするはずだった)、ふりかえれば津島佑子高橋和巳高橋源一郎村上春樹筒井康隆法月綸太郎笠井潔スティーヴン・キングなど、まあ、広い意味での文芸評論を書き継ぐことができました(映画だけど北野武論と松本人志論も書いた)。ざっとカウントしたら、それらだけで500枚ほどあったので、ちょっとは頑張って物書きとして労働できたみたいです。ただし『戦争と虚構』の作業が大体終わった10月頃から、3ヶ月ほど、完全に何も書けず・できず・動けずになっています。エネルギーが切れたようです。そんな感じですが、来年も地味に頑張りますので、よろしくどうぞ。

新刊『戦争と虚構』刊行



 8冊目の単著が刊行になります。
 政治と美学、作品論と時評の間をぬっていくような批評。
 2010年代論でもあります。
 新境地だと思っています。
 割といい本だと思いますので、よろしくどうぞ。


 《いかにフィクションは戦争に抗するのか? 災厄の気配――鳴り響く早朝のJアラート。力なき笑いに覆われた〈戦前〉――に満ちる転換期としての2010年代。『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』、押井守宮崎駿、リティ・パン、伊藤計劃、湯川遥菜、安倍晋三東浩紀土本典昭……、それらを星座のようにつなぎ合わせたとき、見えてくる未来とは。新たなる時評=批評の形。》


 ◆◆(8冊目)『戦争と虚構』(作品社、2017年11月30日)


戦争と虚構

戦争と虚構


最近の仕事(スティーヴン・キング論)



 最近は若い頃に出会い、人生的な影響を受けた作家について書く機会がなぜか多いのですけれども(宮崎駿長渕剛ジョジョ筒井康隆法月綸太郎北野武村上春樹宇多田ヒカル……)、キングは高校の頃、最も愛読した作家の一人です。この機会に読み返したり、はじめて読む作品も沢山あったりして、本当に幸福な時間でした(どれも死ぬほど長いけど、そこがキングの味わいなわけです)。27年周期で邪神が甦る『イット』じゃないけれど、自分の27年前の青春と恐怖に向き合うようにしてキング論に挑みました(パラパラ確認したら誤字脱字が多く、それも青ざめるほどの恐怖でした)。ひたすら空虚で不毛だった青春期の自分を甦らせ、かつ、別れの挨拶を告げた気分になりました。原稿依頼から〆切まで10日ほどしか時間がなく、とても荒っぽい原稿になりましたが、逆に勢いに身を任せなきゃ書けなかったかもしれません。


 ◆「スティーヴン・キングと神」(25枚、「ユリイカ」2017年11月号)


 ちなみに僕のキング作品ベストはこんな感じです。


一位 『ペットセマタリー』
二位 『シャイニング』
三位 『イット』
四位 『ジェラルドのゲーム』
五位 『デスペレーション』or『グリーンマイル



最近の仕事(北野武論)



 『アウトレイジ 最終章』公開に合わせて刊行された『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)に次の文章を寄せました。原稿のためにこの夏、北野武ビートたけしの映画17作品を順番に観ていましたが、大学生の時に『あの夏、いちばん静かな海。』と『ソナチネ』に人生に食い込む衝撃を受けた人間としては、至福の時間としか言いようがありませんでした。


  ◆「地球外的な笑いについて――北野武論のためのノート」(27枚、『映画監督、北野武。』、フィルムアート社、9月30日)


映画監督、北野武。

映画監督、北野武。



 この夏は同時に松本人志論も書いていました。松本氏のことは好きでも嫌いでもないけれど、その空虚で何もない凡庸な空っぽさのこと、その不気味な笑いのことが気になっていたのです。映画批評としてそのことを書きました。70枚程の批評文で、そのうち『シネ砦』という映画批評誌の2号に掲載されるはずです。