ココデハナイドコカ?

 例えばどうしても好きに外出したい、電車にバスに乗ってどこへでも行きたい、という障害当事者がいるとしよう。入所施設ではその機会もろくになかった。職員の不足があり、「集団責任」(一人を優遇できないよね)もあった。怪我をしても職員に怒られても、外を外を目ざした。遠くで駅員か警察に保護されるまで。それを「無断外出」と責められ、叱責された。自由契約の事業所を探し、外出を続けた。グループホームへ移った。制度面でヘルパーが(当面は)使えるようになった。外出を続けた。ヘルパーは、外出を通してその人が「外出に際する社会常識」を身につけられることが、長い目でみればその人のためになると考えた、としよう。社会への馴致。しかし、ふと思った。その人は、本当は一人の外出を望んでいるのだ。ヘルパー同伴という「条件つき」は、あくまで妥協の産物。今後ホーム利用者はヘルパーを使えなくなりそうだ。いや、長い目でみれば、それだけでもない。「無断外出」と言われる。でも、それが本人の最大の欲求であるとすれば。どこか遠い場所で事故にあうかも知れないし警察に捕まるかも知れないし行方知れずになるかも知れない、でもそれが本人の望みであるとすれば。その時、ヘルパー同伴という「条件付きの」外出支援って何だ。