中村光夫『風俗小説論』メモ

 少し前、中村光夫『風俗小説論』(1950年)を読み返し、愕然とした。私小説・風俗小説(批判)の問題は少しも古びていない、と、他人事でなく思い知った。というのは、自分が最近書いてきた批評文の傾向に対する完膚なき批判を、既に含んでいるから。
 中村は、花袋『蒲団』以降の日本の自然主義私小説における「作者=登場人物」の極度の近接を、執拗に批判する。しかし、たんに「私小説・風俗小説は平板だ、近代化を経ていないからダメだ」とは述べていない。ゆえにもちろん西欧文学の基準から日本文学を裁断してもいない。
 以下の言葉の射程は広いし、深い、

 《私小説が小説に必須な仮構の要素を不純として斥け、小説たる性質を否定した小説をその理想としたのも、やはり根本においては、作者の性急な、しかしひたむきの倫理的要素の一途な具現であることを目指したためで、「証拠」の書類に嘘が混っては、その本来の目的に副わないのです。当時の私小説の秀作が小説というよりむしろ作者の人間修行の報告書たる観を呈しているのもそのためなので、それが僕等を動かすのは、そこに現れた人間性の真実より、むしろ、この独善的な修養に身を委ねる作者の情熱の純粋性と激しさによってです》(新潮文庫版、65頁)。



 小杉天外「はやり唄」序文(明治34年)にあるように、この「倫理的要素の一途な具現」の物狂いの情熱は、真偽・善悪・美醜すら飲みつくすような「自然」として掴まれていた(多くの自然「主義」においてはそれらは平板な美学の水準で潰えたとしても)。平野謙大杉重男などが述べたように、もっともラディカルにそれを生きたのは、やはり、『別れた妻に送る手紙』『黒髪』などの近松秋江だったと思う(岩野泡鳴にも動物的凄みがあるけど――現在そんなポテンシャルを、自分の身体と生活を実験台にして反復=変奏するのは、中村うさぎ雨宮処凛だろう)。*1
 事実『風俗小説論』は、小林秀雄のいわば《私批評》の急所の批判すらその射程に含めていた(小林「私小説論」は、同時代の論争の文脈でみると、中村や横光利一らへの反論をもともと含んでいた)。それを考えれば、小林の「私小説論」と同じく、やはり、ある種の恐ろしい程の「日本」の隘路がえぐり取られている。なぜそこでは「書くこと」が常に平板な薄っぺらさに叩き伸ばされざるをえず、立体的な社会性の水準を獲得しえないのか、と(小林はそこを封建=後進性の問題、封建論争の文脈で掴んだ)。


 (中村は、『風俗小説論』では、自然主義以降の正統な起源となった『蒲団』中心の歴史観を批判し、藤村『破戒』中心の文学史観を暫定的に肯定するけど、しかし同時に明治30年代には別の「抽象化」のポテンシャルもあったと考えてもいる、主に二葉亭四迷のポテンシャルとしてあったそれに。)

*1:一部削除した。でも自己嫌悪で何かを誤魔化すな。