細田守『時をかける少女』

 DVDで見直した。



 哲学者のキルケゴールは、その謎めいた著作で、真の「反復」とは、過去を向いて失ったものを想起することではなく、未来へ向けて過去を取り返すことだと述べた(『反復』)。「追憶されるものはかつてあったものであり、それが後方に向かって反復されるのだが、それとは反対に、ほんとうの反復は前方に向かって追憶されるのである」。
 マコトのタイムリープは、そのままではこうした意味での「反復」にはならない。リセットとやり直しを延々と繰り返すだけだ。キルケゴールは反復という精神の態度の中に、過去の誰かの絶対的な喪失をそのままに受け止めて弔うことによって、それをやり直すのでもなく忘却するのでもない形で、人が未来へと再び向き直す、そのための転回軸を見通していた。逆にいえば、喪失や別離という過去から目を背けてそれをなかったことにするとき、私たちは未来という時間性にそもそも辿り着くことができなくなってしまう。
 では、私たちが未来に手を触れるには、どうすればいいのか。喪失と別離を真に経験し、取り戻すことである。マコトはチアキを失って初めてチアキへの自分の愛に気付く。それだけではない。彼女はもう一度、二人の関係をやり直す。失われた愛を取り戻そうとしたのではない。チアキともう一度別れること、なし崩しのお別れ(二度と会えない)を真の別離(二度と会わない)にするために、時間を巻き戻すのだ。他者と本当の意味で別れるという決断のために時を反復したのだ。
 「期待するには若さがいる、追憶するには若さがいる、しかし、反復を欲するには勇気がいる」とキルケゴールは言った。そうした別離を自らの能動的な意志で「勇気」をもって「欲し」、選び直すことで、ようやくマコトは未来の誰かの方へと向き直すことができたのである。大粒の涙で泣きじゃくる彼女のもとにそんな「誰か」が戻ってきて、耳元でそっとささやく、「未来で待ってる」。彼女は応える。「すぐ行く/走って」。