世界は大いに盛り上げるもの、か?――武田敦・涼宮ハルヒ・石川啄木
少し前に『新現実』をぱらぱら読んでいたら、武田敦さんという人の「ゆめみるオタクの杞憂」という文章が、妙に気になった。
- 出版社/メーカー: 太田出版
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《僕は涼宮ハルヒの「世界を大いに盛り上げる」という思想と言うか感情と言うか、彼女自身を突き動かしている「世界への挑戦と愛情」を支持する。決して「世界を壊す」だとか「世界よ消えろ」だとかではなく、世界は「盛り上げる」ものなのだということを改めて僕は認識した。そこで僕は聞きたい。みんな盛り上がっているかい?と。》
「世界を壊す」(革命)でもなく「世界よ消えろ」(ニヒリズム/テロリズム)でもない。「世界は大いに盛り上げるものだ」。
こういう感覚ってなんだろう。
鈴木謙介は「大きな物語」を見失った世代の若者たちの基本感覚を「内発的な動機付けを自己言及的に高めている状態」と考え、それを「カーニバル」=「ロマン主義的シニシズム」と呼び、「消費社会的シニシズム」(「自らの振る舞いは「あえて」選んだものだという確信」を延々と先延ばししていく生き方、例えばブランド品Xに意味はないとよくわかっている、にもかかわらずあえてそれを楽しむ、等)から区別している(『ウェブ社会の思想』)。たえず自分を盛り上げてないと動けなくなる、っていうか。
しかし、そう社会学的に分類してしまえば、とたんに消えてしまうような何かが、そこにはあるという気がする。たとえば、『新現実』の巻末の経歴を見ると、一九八〇年生れの武田さんは、現在、「ひきこもり気味フリーター」で、首都圏青年ユニオンの副委員長であるという。大塚英志が、同誌の巻頭のコラムで「ヲタ」の「サヨク」化についてふれている。また紙屋高雪という人が「ぼくは左翼であるが同時にオタクでもある。日本の戦後史が背負ったこの分裂のどちらも軸足を置いている」と書いている(「余は如何にしてマルキストとなりし乎」)。すると「世界は壊すものでも消そうとするものでもなく盛り上げるものだ」という感覚は、単純に「サヨク」からの逃避(転向?)を意味するとは限らない。オタクであることとサヨクであること、それらは「同時に」問われうるものでもあるらしいのだ。
――と、そこまでは、何となくつかめた。
しかし、妙にひっかかるものが残った。何か落ち着かない気持になった。その時はそれ以上は結局よくわからなくて、そのまま武田さんの文章を忘れていた。
2巻以降の感想はいずれまたどこかで。
その時、読みながら、次のことにふと気付いた。
たとえばぼくは『太臓もて王サーガ』というマンガが好きだ(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070314)。こないだ『ジャンプ』の連載が終ってしまって、すごく残念だった。
しかし、物語の構造だけみると、『もて王サーガ』の世界は、じつは、涼宮ハルヒの世界とそんなに変わらない。相当似ている。ただ、組み合わせる素材(データベース)が違っているだけだ。ハルヒの世界がコスプレやツンデレなどのオタク趣味的素材をたくみに組み合わせているとすれば、『もて王サーガ』はジャンプチルドレンがいかにも好みそうな元ネタ=素材(中心にあるのは『ジョジョ』)を主に使っている。素材の違いが趣味の違いを生じさせる(もちろん物語や語り口のセンスの違いは必ずある)。
実際『もて王サーガ』の基本にあるのも、ハルヒがいう「世界は普通すぎてつまらない、だから無理やりにでも盛り上げなければならない(さもないと人は「世界を壊さなければ!」とか「世界を消さなければ!」とか考えちゃう!)」という感覚である。それを象徴するのは、太臓の付き人である悠だと思う。悠は、その優秀な頭脳と能力を、生産的な事柄には一切使わず、たんに状況をかき回して「面白」くすることだけに全精力をかけるような奴だ。悠は最終回で「長く生き過ぎて自分の本名を忘れてしまった」というようなことを言っていた。悠は自分の本当の名前を忘れてしまうくらい長く生きてきて、可能な限りの物事を経験し、すでに世界に飽きている。何より、そんな自分に飽きている。全てのドタバタ、引っかきまわし、欲望の先延ばし、パロディなどは、この「世界はそのままではつまらない」という深いシニック(諦念)から出てきたものなんだと思う。
――そして、気付いてしまった。
この自分もまた深い部分で日々に「退屈」しているのだ、と。退屈していてひどく心が荒れたり自堕落になったりしているのだ。そのことを認める以外ない、と。
正直、自分でも本当に驚いた。でもそれが事実だ。
この年齢になってもまだ「退屈」していられるなんて!
忙しく働いていれば人生に退屈している暇なんてない。
これは正しい。
退屈を感じうること自体が余裕の産物だ。
これも正しい。
しかし、それらを分かっていても、人並みに仕事をしていても、金銭的な生活苦の中にあっても、長年の目標だった執筆条件をわずかながら獲得できていても、あの深い「退屈」を克服できないのだ。もちろんそれは「世界は退屈だと思っている自分自身こそが退屈な奴だ」という意味に他ならない。その事実を認めざるをえないのだ。
石川啄木は「「何か面白い事は無いかねえ」は不吉な言葉だ」と書いた。「硝子窓」というエッセイ。明治四三年、啄木が二四歳の頃だ。啄木はそこに「実にかの多くの文学者の生命を滅すところの最大の敵」さえ見ていた。
《時として散歩にでも出かける事がある。然し、心は何処かへ行きたくっても、何処へという行くべき的【あて】がない。世界の何処かには何か非常な事がありそうで、そしてそれと自分とは何時まで経っても関係が無さそうに思われる。しまいには、的もなくほっつき廻って疲れた足が、遣場の無い心を運んで、再び家へ帰って来る事になる。――まるで、自分で自分の生命を持余しているようなものだ。
何か面白い事は無いか!》
啄木は、その「何か面白い事は無いか!」を無限に求め続ける精神を批判して、こう書く。
《実に好い気持だ。「もっと、もっと、もっと急がしくなれ」と私は思う。
やがて一しきりその為事が済む。ほっと息をして煙草をのむ。心よく腹の減ってる事が感じられる。眼にはまだ今までの急がしかった有様が見えている様だ。「ああ、もっと急がしければ可かった!」と私はまた思う。
(略)
――こうした生活のある事を、私は一年前まで知らなかった。》
「新らしい詩の真の精神」は「両足を地面に喰っ付けて歌う詩」(「喰うべき詩」)であるべきだ、と真っ直ぐに書いた啄木らしい言葉ではある。
しかし、注意すべきは、啄木がこの「硝子戸」という短文を、むしろ次のようにしめくくっていることである。先の「こうした生活のある事を、私は一年前まで知らなかった」という一文は、こう続く。
《然し、然し、時あって私の胸には、それとは全く違った心持が卒然として起って来る。ちょうど忘れていた傷の痛みが俄かに疼き出して来る様だ。抑えようとしても抑えきれない、紛らわそうとしても紛らわしきれない。
今まで明かった世界が見る間に暗くなって行く様だ。楽しかった事が楽しくなくなり、安んじていた事が安んじられなくなり、怒らなくても可い事にまで怒りたくなる。目に見、耳に入る物一つとしてこの不愉快を募らせぬものはない。山に行きたい、海に行きたい、知る人の一人もいない国に行きたい、自分の少しも知らぬ国語を話す人達の都に紛れ込んでいたい……自分という一生物の、限りなき醜さと限りなきあわれさを心ゆくばかり嘲ってみるのはその時だ。》
これは啄木が二葉亭四迷から継いだものでもあるだろう。あるいは保田與重郎や中野重治や坂口安吾にも継承されていくものだろう。そして今なお一向に解決されやしない「痛み」であるだろう。
世界は本当に「盛り上げる」もの、なのか?
ぼくはこれにイエスとは答えない。
ただ、その底に流れているもの、無意識に呪縛しているもの、そこにある古くて新しい問いに、この自分が無関係ではいられないことを、今はもう一度――つまり「文学」と「労働」に同時に属しながら――思い知らされつつある。