梅山景央『コミット?』

 →https://www.youtube.com/watch?v=Kp-CodRkaqk


 「杉田さん『シスタープリンセス』って知ってますか!ある日主人公のもとに12人の妹がやってくるんです!みんな「お兄ちゃんが大好き」です!そして呼び方が全員違うんです!「お兄ちゃん」「お兄様」「お兄たま」とか!」 *1
 という、衝撃的な情報を監督の梅山景央氏から聞いたのは、もう大分前のことになる。


 現代の人々はおしなべて元気がない。しかしオタクの人々は不思議なほど元気だ。なぜだろう。梅山氏は、そこから問いをはじめる。
 いや、深刻に社会派ぶって「問題」を提示しているのではない。おそらく、職場の友人であるオタクの松田君に対する素朴な好意から、梅山氏はカメラを回していく。「オタク差別」の話題が最初の方に出てくるが、別に「オタクはマイノリティ運動だ」という強い主張があるわけでもない。カメラは「オタク」ではなく、オタクという生き方を選んだ「人間」(彼ら)そのものを丸ごととらえようとしていく。そのスタンスがすでに貴重に思える。梅山氏はそれを「息づかい」と名付ける。


 梅山氏自身がブログで《03年の時点ではまだもの珍しかった「萌え」や「メイド喫茶」もいまや日常語だし、作品として世に出せるレベルじゃないのでこっそりとフェードアウトさせたかったんだけど》(http://passage.tea-nifty.com/firedoor/2006/04/post_db7d.html)云々と後ほど語っている。確かに、画面に映っている彼らもまた、自分たちの存在を出来合いの言葉で「オタク」「萌え」と説明はしているけれど、それはただの言葉であるにすぎない。周りの人々から「こんなのどこがいいの?」という質問を繰り返し受けてきて、自分たちの趣味や欲望についてどう説明していいのかわからず、詳しく説明するのも面倒だから、とりあえず「オタク」「萌え」云々という言葉にライドしている。そんな感じだ。
 ちょっとたどたどしく、これは「萌えですよ」と口にするところ、そのぎこちなさ、原点にあった微妙な居心地の悪さを、『コミット?』はそのぎこちなさを消さないままにつかんでいる。


 松田君の幸せそうな、嬉しそうな顔が、本当に凄い。まさに「きもかわいい」という感じだ。インタビューの途中で、突然、カメラを回す梅山氏に対し「梅山さん、シスプリ一緒にみますか!」と、滅茶苦茶嬉しそうに誘ってくる。自分が映像として撮られていることなどすでに忘れて、とにかく見て下さいよ、一緒に見ましょうよ、まずはそこからですよ、という感じで。しかも、結局最終的には、映画サイドの人間を無視して、誰よりも自分たちがアニメに見入っている。ここまでカメラを無視した被写体の喜びを捉えたこと、それは梅山的なまなざしの真骨頂に思える。それがまさに「ドキュメンタリー」に思える。


 梅山氏のカメラは、シスプリそのものではなく、シスプリに見入る松田君の横顔を、その「ピュア」?な涙を捉える。もちろんそれは…なんというか…美しいとはお世辞にもいえないのだけれども…僕らもまあいかんともしがたくグッときてしまうのだった。


 そんなオタクである彼らの「コミッ(クマーケッ)ト」=「祭り」に、べつに深く強くシンクロするわけでもないけれど、かといって冷静に観察して突き放すわけでもなく、「こいつらほんとにおもしれえなあ」という感じで、梅山氏は粘着的につきまとっていく。降り続ける雨のようにどこかウェットに。彼らにベタにコミットすることと、彼らをネタとして消費することの間を、その瓦礫の間を微妙に縫うようにして。

*1:その後ここ(http://www.mediaworks.co.jp/gamers_s/sispri/sis02.php)でチェックし、「お兄ちゃん」「お兄ちゃま」「あにい」「お兄様」「おにいたま」「兄上様」「にいさま」「アニキ」「兄くん」「兄君様」「兄チャマ」「兄や」の12種類だと知りました。