カフカ

  …《まさにこの病的な無力の状態の原因をなんとか解明するために彼は『日記』を開始するのであって、ここで彼は「ちょうど今日、望遠鏡が彗星に向けられているように、毎日せめて一行だけでも自分に向けること」を望み》…(『カフカのように孤独に』邦訳257頁)




 カフカは書く。


 《家庭生活、交友、結婚、職業、文学など、あらゆることにぼくが失敗する、いや失敗するところまでもいかない、その原因は、怠惰、意志薄弱、不器用にあるのではなくて――もちろんこれらすべても若干はそこに作用しているだろう、「害虫は無のなかから生まれる」と言うから――、土壌の、大気の、そして戒律の、欠如にある。これらを入手することこそ、ぼくの課題である。》(『八つ折り半ノート』全集3巻91頁)


 一九二二年の日記にも、「中断病」のリストがある。


 《ピアノ、ヴァイオリン、語学、ドイツ学、反シオニズムシオニズムヘブライ語、庭いじり、大工仕事、文学、結婚の試み、自分の住まい(略)。》(『日記』一九二二年一月二三日、全集7巻401頁)


 カフカは失敗することすらできなかった、と言っている。「あらゆることにぼくが失敗する、いや失敗するところまでもいかない」と。カフカの「書くこと」を貫く原理にも、たぶん、こんな挫折の無限の連鎖があったのだろう。上の二つの引用で、カフカが挫折リストの中に「文学」を紛れ込ませていることが、ぼくにはとても気にかかる。カフカは「書くこと」のために生活を犠牲にした、たとえば結婚を、自分の健康を、自他共にそう言われる。でも、文学のために生活を犠牲にした、犠牲にできた、というわけでもなかった。その書くことにすら、カフカは、基本的に挫折と中断を感じていた。というか、「失敗するところまでもいかな」かったのだろう。カフカが生前刊行できた作品は数少なく、長編はことごとく失敗し、最後は友人のブロートに自分の未定稿やノートを焼き捨ててくれ、と「遺言」したことだけではない。カフカはどこかで、作品だけではなく、一つ一つの文を書く時に、苦労して書くことの不可能性をもぎとらねばならなかった、というようなことを書いている。(ロベール、332頁)


 でも、日記や手紙から、その一回一回の試みが、それぞれに「本気」だったはずだ、という印象をぼくは受ける。わざと中断や挫折に居直ったわけじゃない。もちろんディアスポラ的な、孤独な単独者的な快楽に酔ったわけでもない。その一回一回では、「何か」に手が届くことを、本気で願い、本気で試みたはずだ。例えば後藤明生カフカ論がつまらないのは、最初から「ユーモア」「失敗」「迂回」などを意図的に目指しうる、と後藤が考えてしまっているからではないか。よくもわるくも、そういう余裕はカフカに感じられない。何かを真剣に目指し続けるにも関わらず、その真剣さが現実の困難や不如意にぶつかって挫折し失敗してしまう、その瞬間にのみ、おそらく、滑稽さやユーモアは生じる。現実から身を引き剥がし対象を冷笑するイロニーではない。そこを捉え損ねると、カフカの生きること、書くことの不可解な石(コア)を捉え損ねてしまうという気がする。そしてカフカが何故こういうふうな奇妙なスタイルで書かざるをえなかったか、書き続けざるをえなかったか、いいかえればこれ以外に「書けなかったのか」というありふれた事実を捉え損ねてしまうのではないか。


 実際、カフカのテキストは、あらゆるジャンルに見えるといえば見えるし(寓話、メルヘン、神話、コメディ、長編小説、年代記、動物物語、アフォリズム、手紙、日記、ノート、心象スケッチ…)、どんなジャンルにも見えないと言えば見えない。これはカフカ批評にもあてはまるものであり、マルト・ロベールはカフカ批評が最低限踏まえるべき最小前提を正確に指摘する、「(カフカの)テキストは、ひとがそれに好きなだけ付与するすべての意味を受け入れるのであって、これが何ら驚くに当たらないのは、カフカがそれらの意味を実際にあてはめてみ、ひとつひとつ試しては、最終的にそれらを誤まりやすい安易な答えとして、また彼から真実を隠すものとして捨てているからである」(『カフカのように孤独に』邦訳295頁)。こんなふうに、一つひとつの文章がオドラデク的な合成生物というか、どこか手のつけようがない感じで、ぼくらの眼前に投げ出されてある。とりとめもなく茫漠とひろがる乾いた沼地のように。
 例えば『八つ折り半ノート』は、ニーチェのようなアフォリズム集ともずいぶん違う。アフォリズム的な断定の力、知性、悦楽がない。事実、ノートのうち2冊(いわゆる「第三冊」と「第四冊」)を、約三年後の1920年に編纂したものが、1924年、カフカの死後にまもなく『アフォリズム――遺稿から』として雑誌などに収録されたが、それを「アフォリズム」と呼んだのはブロートであり、カフカ自身ではなかった。カフカのテクストの塊は、強いていえば、文字通り「ノート」と呼ぶほかにないが、古今東西の文学ノート・哲学ノートばかりか、小林秀雄ドストエフスキーノートや中野重治斎藤茂吉ノートと比べても、さらに不可思議なわからなさをふくんでいるような気がする。読みながらぼくらの思考や認識がドライブしていくような何か、背骨のような部分がぬきとられている感じなのだ。ルートヴィヒ・ディーツは、カフカの全作品が「草案(コンツェプト)」という性質を持っている、と言っているそうだ。断片は、そのまた未完の断片にすぎない、と。この手の付けようのなさ、あいまいに困惑してしまうような感じ、それをなんといえばいいのだろう。ブロートの編纂の仕方に疑問が投げられ、研究者の手で誠実なテクストクリティークが進んでいるらしい(ぼくはカフカ研究についてなにも知らない)のだけれど、たとえ正確な年代その他が今後きちんと整備されても、カフカのテクストのこの手のつけようのない感じは、なお、残り続けるのではないか。あの「不可解な石」のように。


 ところで、先の『八つ折半ノート』からの引用の先には(カフカの文章は、同じフラグメント内でも意味が通じない、連続していない感じにしばしばぶつかるのだけれど)、以下の言葉がある。


 《ぼくはこの人生に必要な要件を、ぼくの知る限り、なにひとつとして備えておらず、ただ普遍的な人間的弱みしかもっていない。この弱みによって――もっともこういう観点からするとじつは巨大な力なのだが――、ぼくは、ぼくの時代のネガティヴな面を黙々と掘り起こしてきた。この現代、ぼくに非常に近い、したがってぼくがそれと闘うよりもむしろある程度代表する権利を持っている時代の、否定面を掘りあて、それを身につけてしまったのである。ポジティヴなものはごく些細なものでさえ、またネガティヴなものも、もうすこしでポジティヴに転化する程度の表層的なものはなにひとつとして、ぼくは継承しなかった。》(同)


 ぼくらが読みうるカフカの一番古いテクストのひとつは、『あるたたかいの記録』と題されている。例によって未完で、カフカの死後出版されている(ただしそのうちのいくつかはをカフカは抜粋し生前に出版している)。「たたかい」は、カフカのノート等に頻出する言葉でもある。有名な「君と世界とのたたかいでは、世界の側に支援せよ」(『八つ折半ノート』)というフシギな言葉もある。
 でも、それはどんな「たたかい」だったのだろうか。カフカのテキストを読むと、それは少しも自明ではないことがわかる。


 『八つ半折ノート』から――


 《長いあいだ横臥したまま、不眠、たたかいの自覚。》(81頁)


 《この現世の決定的特長は、うつろいやすさである。この意味では、幾世紀の年月も、つかのまの一瞬と少しも変りはしない。うつろいやすさの連続性は、したがってなんの慰めにもならず、また廃墟のなかから新しい生命が萌え出ることは、生の持続よりもむしろ死の持続を証明する。さてそこで、ぼくがこの現世とたたかおうとすれば、その決定的特徴、つまりうつろいやすさという一点を攻撃するしかない。ぼく自身この人生のなかにいて、そうすることができるだろうか? それも、たんに希望や進行によってではなく、現実にそうすることができるだろうか?》(87頁)


 《自己放棄ではなく自己消尽。》(79頁)


 これらとつなげて、もう一つ引用。


 《われわれにとっては二種類の真理がある。それぞれ、知恵の樹および生命の樹によって表されているもので、活動するものの真理と休息するものの真理である。前者においては、善・悪の区別がなされるが、後者は、それ自体が善そのものにほかならず、したがってそこでははじめから善も悪もないことになる。第一の真理はわれわれに現実に与えられているが、第二の真理は予感の域を出ない。これは悲しいことである。ただ喜ばしいのは、第一の真理が瞬間に属するのにたいして、第二の真理が永遠に属しており、したがってまた、第一の真理が第二の真理の光のなかで消滅することである。》(82頁)


 (続く)