新刊『戦争と虚構』刊行



 8冊目の単著が刊行になります。
 政治と美学、作品論と時評の間をぬっていくような批評。
 2010年代論でもあります。
 新境地だと思っています。
 割といい本だと思いますので、よろしくどうぞ。


 《いかにフィクションは戦争に抗するのか? 災厄の気配――鳴り響く早朝のJアラート。力なき笑いに覆われた〈戦前〉――に満ちる転換期としての2010年代。『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』、押井守宮崎駿、リティ・パン、伊藤計劃、湯川遥菜、安倍晋三東浩紀土本典昭……、それらを星座のようにつなぎ合わせたとき、見えてくる未来とは。新たなる時評=批評の形。》


 ◆◆(8冊目)『戦争と虚構』(作品社、2017年11月30日)


戦争と虚構

戦争と虚構


最近の仕事(スティーヴン・キング論)



 最近は若い頃に出会い、人生的な影響を受けた作家について書く機会がなぜか多いのですけれども(宮崎駿長渕剛ジョジョ筒井康隆法月綸太郎北野武村上春樹宇多田ヒカル……)、キングは高校の頃、最も愛読した作家の一人です。この機会に読み返したり、はじめて読む作品も沢山あったりして、本当に幸福な時間でした(どれも死ぬほど長いけど、そこがキングの味わいなわけです)。27年周期で邪神が甦る『イット』じゃないけれど、自分の27年前の青春と恐怖に向き合うようにしてキング論に挑みました(パラパラ確認したら誤字脱字が多く、それも青ざめるほどの恐怖でした)。ひたすら空虚で不毛だった青春期の自分を甦らせ、かつ、別れの挨拶を告げた気分になりました。原稿依頼から〆切まで10日ほどしか時間がなく、とても荒っぽい原稿になりましたが、逆に勢いに身を任せなきゃ書けなかったかもしれません。


 ◆「スティーヴン・キングと神」(25枚、「ユリイカ」2017年11月号)


 ちなみに僕のキング作品ベストはこんな感じです。


一位 『ペットセマタリー』
二位 『シャイニング』
三位 『イット』
四位 『ジェラルドのゲーム』
五位 『デスペレーション』or『グリーンマイル



最近の仕事(北野武論)



 『アウトレイジ 最終章』公開に合わせて刊行された『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)に次の文章を寄せました。原稿のためにこの夏、北野武ビートたけしの映画17作品を順番に観ていましたが、大学生の時に『あの夏、いちばん静かな海。』と『ソナチネ』に人生に食い込む衝撃を受けた人間としては、至福の時間としか言いようがありませんでした。


  ◆「地球外的な笑いについて――北野武論のためのノート」(27枚、『映画監督、北野武。』、フィルムアート社、9月30日)


映画監督、北野武。

映画監督、北野武。



 この夏は同時に松本人志論も書いていました。松本氏のことは好きでも嫌いでもないけれど、その空虚で何もない凡庸な空っぽさのこと、その不気味な笑いのことが気になっていたのです。映画批評としてそのことを書きました。70枚程の批評文で、そのうち『シネ砦』という映画批評誌の2号に掲載されるはずです。

最近の仕事(ミステリ批評×3+上田岳弘『塔と重力』書評)



 三つのミステリ批評がたまたま、ほとんど同じ時期に世に出ることになりました。高校生の時に人生上の影響を受けた法月氏や笠井氏の小説をこの夏、まとめてゆっくりと読み返したのは、幸せな時間でした。昨年の「本格ミステリー・ワールド」鼎談を読んだ法月氏から指名があり、解説を書かせてもらったのも嬉しかった(『ラトウィッジ機関』のバートルビーのくだりには『無能力批評』も若干影響していると聞きました)。「ジャーロ」の原稿はタイトルを「『君の名は』殺人事件」にすればよかったかも。
 賛否両論あるらしい上田氏の新作は、彼の最高傑作だと僕は思っています。


 ◆「バベルの塔を再建し続けろ、その足元の瓦礫から――上田岳弘『塔と重力』書評」(「すばる」2017年10月号)
 ◆「迷子猫【ストレイ・キャット】的な脱構築のために――法月綸太郎『怪盗グリフィン対ラトウィッジ機関』解説」(22枚、講談社文庫、9月14日)
 ◆「ミステリと君――The Japanese KIMI MarderCase」(20枚、「ジャーロ」2017年秋号、講談社、9月22日)
 ◆「笠井潔入門、一歩前」(22枚、笠井潔『転生の魔 私立探偵飛鳥井の事件簿』解説、講談社、10月10日)


転生の魔 私立探偵飛鳥井の事件簿

転生の魔 私立探偵飛鳥井の事件簿


繁体字版『宮崎駿論』が出ました



 翻訳して頂いた繁体字版の『宮崎駿論』(典藏藝術家庭股份有限公司)が台湾から送られてきました。僕には読めませんが、嬉しく思います。現地の人々にはどんな読み方をされるのだろう。僕にとって今のところいちばん深く遠いところまで行けた批評の本だと思うので、日本語版も未読の方はお手に取って頂けるとありがたいです。


最近の仕事(1990年代論+震災後文学イベント)



 下記の論集に次の原稿を寄せています。
 1990年代のジャンプマンガと、小林よしのりやヘイト系のマンガと、「批評空間」やNAMのことをトライアングル的に繋げるような何事かを書いています。特に90年代後半の「ジャンプ」暗黒期を象徴する『封神演義』の藤崎竜の重要性を強調しています。走り書き的なものではありますけれども。僕はこれまで世代論批判をデフォルトとしてきましたが、20歳の誕生日に阪神淡路大震災があり、大学通学路線のすぐそばで地下鉄サリン事件が起き、就職氷河期のど真ん中に直撃した自分は、つくづく「90年代的な空気」の申し子なんだなと感じました。
 よろしければ。


 ◆「それから、私たちは「導なき道」を歩いてきたのか――一九九〇年代の少年マンガについて」(20枚、『1990年代論』、2017年8月23日)


1990年代論 (河出ブックス)

1990年代論 (河出ブックス)



 なお今月末に下記の刊行記念イベントがあります。詳細はリンク先から。


 2017年8月30日(水曜日)20:00〜22:00(19:30開場)
 仲俣暁生×杉田俊介×藤井義允×藤田直哉
「いま、震災後文学を読む――『東日本大震災後文学論』刊行記念」
http://bookandbeer.com/event/20170830_bt/


東日本大震災後文学論

東日本大震災後文学論


最近の仕事(筒井康隆論+書評)



 ◆「筒井康隆論――文学は差別と戦えるか」(47枚、「すばる」2017年8月号)
 ◆「上村亮平の微光」(3枚、「文藝」2017年秋号)


 今月はほかに、宮内悠介氏『あとは野となれ大和撫子』の書評が東京新聞(7月9日)に、齋藤直子氏『結婚差別の社会学』の書評が共同通信(掲載日未定)に掲載されます。


すばる2017年8月号

すばる2017年8月号