ナイト・シャマラン『レディ・イン・ザ・ウォーター』を
DVDで。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2007/01/26
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うーん…。って感じ。
ここまでストレートに自分の「隠された欲望」を表出してしまっていいのだろうか。シャマラン監督の実生活は全く知らないんだけど、これ、新興宗教団体の共同生活を本気で肯定する物語でしょう。
主人公のマンション管理人は、かつて理不尽な殺人で妻と子どもを失い、敗残者のようにひっそり暮らしていて、それは『サイン』の牧師さんが奥さんを事故で失ったことと同じだ。管理人は、中国人のお婆さんから聞いた「おとぎ話=ストーリー」のプロットに沿って現実を解釈し、人々を寄せ集め、ヒロインを手助けしようとするんだけど、なぜかマンションの住人たちはそれに対し「変だ」「おかしい」と反論しない。「守護者」とか「ギルド」とか、ほとんどRPGみたいに「キャラ」を決めていく。そしてヒロインの妖精=ナーフが人間の世界にやってきたのは、「世界を一つにする」ためだという。このマンションのどこかに文章を書いている人がいる、その人の文章がやがて世界を一つにするんだという。で、その青年がカメオ出演しているシャマラン監督自身なんだよね。ヒロインには未来を予言する能力があるんだけど、青年の本がやがてどこかの街で少年に読まれ、その少年が人類を導いていく「指導者」になるだろうと。ただしそれを書いた青年自身は政治的な何かに巻き込まれて数年後くらいに死ぬだろうと。とってもセカイ系な話ですな。唯一、終盤にヒロインが死に掛けた場面で、儀式を通して彼女を回復させようとする場面で、新しくつれてこられた男たちが「おとぎ話を信じるのはやめよう」「病院へ連れて行こう」と違和感を口にする。しかし「この御伽噺は現実よ。証明するの」という言葉で、儀式は滑らかに進み、しかも主人公の管理人が「ヒーラー」で、他の住人たちも一心同体で祈り、管理人の背中に手かざしをする。
このマンションの住人たちは「RPG=ゲーム教」の信者なのか?
しかもシャマランは、そんなコミュニティを本気でストレートに肯定しているように見える。
シャマランは、今までこういう素朴な信念(主題)をはっきりと持ちながらも、それを奇妙なねじれの中で語っていた(『サイン』『ヴィレッジ』)。そこから生じる不思議なちぐはぐさや軋みが、彼の映画の面白さだったのだと思う。シャマランというと「どんでん返し」の監督と言われてしまうけど、どんでん返しというより、全体を流れる奇妙なちぐはぐさ。
でも今回は、すべてがだらしなく弛緩し、垂れ流されていく感じ。物語の進行もバラバラだし、カメラも何か変だ。物語の舞台はマンション内の閉ざされた空間(ロの字型)に限定されているんだけど、閉塞した息苦しさというより、どこかやる気のない感じがする。たとえば『サイン』では、外から来る宇宙人の侵略は兆候=サインとしてゆっくりと現れた。『レディ』では、外(ブルーワールド)から来る使者は、もう気配や兆候ですらない。プールからダイレクトにやって来る。気付いたらもういる。もとからそこにいたかのように。なめらかに閉じた世界。『ヴィレッジ』にはあった人工的な二重構造を取り除いたような。
あと、敵の狼みたいな怪物は、なんでヒロインの足ばっかり攻撃してたんだろ?フェチ?
参照→http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050628/p4