ALSのひとの小規模なヘルパー経験から少し考えてみました。



 以下の記事を読んだ。


生きている脳http://blog.m3.com/Visa/20070308/2
過剰で貧困な想像力http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070317#p1
天国へのビザはいらない──尊厳ある生こそを求めるhttp://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070325/p1
ロックトインを「地獄」と呼ぶことについてhttp://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070326/p1
ブログ批判http://blog.m3.com/Visa/20070325/2
尊厳死反対の方たちへhttp://blog.m3.com/Visa/20070326/2
ロックトインについて語ることについて(追記1と追記2あり) http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070326
ロックトインについてhttp://blog.m3.com/Visa/20070327/1
TLSについては、まだまだわからないことだらけで・・http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20070327
Locked-inの二つのイメージhttp://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20070327/p1


 論争に加われるほどの強い主張は、今のぼくにはない。はっきりものを言えないこと、それは弱さでしかない。ただ、今は、もうしばらくだけこの弱さやぐずぐずした場所で何かを考えてみたい。すいません。
 まずは自分の立場を明確にする。障害者ヘルパー・介助の仕事をはじめて5年目になる。2年ほど前からALSの青年の介助に毎週2回入っている。川口さんのお母様にもお会いしたことが一度ある。さくら会その他の研修などを通して他にも数名のALS当事者とお会いした。それで全てだ。明白なのは、ぼくの知るALS療養者とその家族の生活はほんのわずかでしかない、という端的な事実だ。当事者の現実をぼくは本当に狭隘な一部分しか知らない。もちろん当事者の手記や研究書はもろもろ読んだ。でもそんなのは紙の知識だ。当事者や関係者じゃないと事実はわからない、とは言わない。そう言うべきでもない。ただ、今のぼくが信じるのは、一定の日常的関係の積み重ねや持続を通してようやくわかってくる「現実」はやはりある、という単純な事実くらいなのだった。
 いちヘルパーとしての小規模な日常から感じ(させられ)ていること、考え(させられている)ことを、以下少し書きます*1


 医師の春野ことりさんは書く。

ALSというのは、大変恐ろしい病気です。
少しずつ筋肉が動かなくなっていき、次第に寝たきりになり、最後には呼吸も出来なくなります。ついには、眼球さえ動かせなくなります。しかし、意識は最後までしっかり保たれる、というのが特に恐ろしいのです。
研修医の時、大学病院にALSの患者さんが長期入院していらっしゃいました。私は主治医ではなかったのですが、点滴当番の時に病室を訪れると、人が来てくれた事が嬉しいようで、いつもニコニコしていらっしゃったのが印象的でした。その方もやがて呼吸ができなくなると、人工呼吸器をつけられました。人工呼吸器をつけていても、部屋を訪れると、嬉しそうにいつも微笑んでいらっしゃいました。しかし、やがて微笑むこともできなくなり、その後は部屋を訪れても、目を開けることもなく、話しかけても何の反応もない、外から見たら植物状態と全く変わらない状態となりました。しかし、ALSの場合は植物状態とは異なり、身体を動かすことが出来ないだけで、意識ははっきりしているのです。
自分だったら、気が狂うのではないかと思います。
しかし、この状態になってしまうと、気が狂っても、気が狂っていることを表現する術もないのです。
早く死なせて欲しい、そう思ってもそれを伝えることもできません。
地獄ではないでしょうか。

 ぼくは春野さんを批判できない。ぼく自身が実際にALSの青年に関わり始める前は、ほとんど同じことを考え、同類の「想像」をしていたからだ。関わり始めてからもしばらくは周りの同業者たちに「この世で最も残酷な病気だと思う」「自分だったら耐えられない」としゃべってきた。
 ちなみにぼくの場合、怖かったのは、意志伝達のできなさや全身の痛みではなく、「痒み」だった。生来のアトピー性皮膚炎だから。昔から痛みには耐えられても痒みには耐えられる自信がなかった。それは「地獄」だろう、とぼくは正直「想像」してきた。「想像」しながらその人にもヘルパーとして関わり続けてきた。


 では、今の自分はどうか。
 この難病を、正確にはこの難病を発症したひとの生を、どう思うのか。考えるのか。想像するのか。
 正直、自分でもよくわからない。というか、関わるに連れてますますわからなくなってきた。
 眼球もほぼ動かなくなりかけたそのひとの、意志や気持が全く「わからない」のではない。眼球の動きもストップし、情報や知覚のインプットは正常でも自分の意志を他人に全くアウトプットできなくなる(と想定される)状態をTLS(totally locked in state、完全なる閉じ込められの状態)と呼ぶ。この言葉は、ALSという神経難病の過酷さをぎゅっと凝縮するシンボルのように用いられる。あたかも、当人が一度TLS状態を超えると、光さえ脱出できないブラックホールになってしまうかのように。もしそうなら、確かにその人の意志や気持を理解するツールは全く存在しない、永久に「わからない」ことになる。
 しかし、ぼくの介助経験からすると、当事者の生活はそれほど「わかりやすく」はなかった。少なくともぼくにはそうだった。


 たとえば神経内科医の中には「TLS」という言葉自体を嫌う人もいる。まず、TLS状態で本人が意志を表出できるように開発された意志伝達装置はある。有名なものとしてはテクノスジャパン社の「マクトス」(脳波・筋電・眼電などの生体信号を利用してスイッチを押す)や日立の「心語り」(脳血流量を判定してイエス/ノーを伝える)。詳しくはそれぞれのHPで。それらが実際に当事者にどこまで役立っているかは微妙らしいし、人によって機械との相性もあると聞く。でも、技術開発は着実に進んでいる(ちなみに山海教授のサイボーグスーツをふくめ、難病とサイボーグ/テクノロジーの関係は今後ものすごいことになっていくはずだ)。それから、人と人のコミュニケーションは必ずしも言語を介したやり取りだけではない。たとえばヘルパーで部屋に入った瞬間、その人の体調があまりよくないな、とか、なんだか気分がよさそうだな、と即座に「わかる」ことは、ある程度時間を共有した人の多くが経験すること、普通のことだと思う。それから、極端な密着状態にある本人・家族のやり取りは、ときに殆ど「テレパシー」に見える(オカルトではないです、ユングらの非科学性を徹底的に嫌った精神分析創始者フロイトは、テレパシーの可能性だけは(証明はできなくても)否定はできない、と言っている)。
 ALS者の身体や生活の状態を、一方向的に「ひたすら悪くなっていく」ものと考えることは、必ずしもできないのではないか。
 実際は、本人・家族・医療・福祉・保健……等などをふくめた日常=ケアネットワークの中で、可逆性をふくみ、あいまいなところをもろもろふくみつつ、ジグザグに進んでいく、ようだ。たぶん。


 多くの人は人工呼吸器の装着を「自力呼吸が苦しくなる→気管切開+人工呼吸器が必要になる」という単線でイメージするのだろう。でも、それは現実の単純化である。呼吸ケアにはNPPV(noninvasive positive pressure ventilation、非侵襲的陽圧換気療法)とTPPV(Tracheostomy Positive Pressure Ventilation、気管切開下陽圧換気療法)がある。自力呼吸が厳しくなってきたら、まずは鼻や口にマスクを付ける。いきなり気管切開しない。それで本当に呼吸が楽になるのだそうだ。最近では救命救急医療の現場でも、気管内挿管をせずNPPVだけでOKな人がかなりいるという。いわゆる人工呼吸器はTPPVの方。しかも、機械を装着したらそれで終わり、ではない。呼吸ケアとは理学療法士や看護師などのケアやリハビリと一体の過程としてある。NPPVを適切に使って呼吸筋が適度に休まり、一度装着した呼吸器を外せたりもする(重症児などでは気管切開を閉じるケースは普通にある)。「呼吸器を外す」、と言うと、死ぬこと(尊厳死)が条件反射的に想起されるが、全く逆により安楽で快適な生活のためにそうするケースもある、ということだ。テクノロジーの進歩は今以上の様々な可能性を間違いなくひらいていく。繰り返すが、実際の生活の進み方は、可逆性がありジグザグなものなんだ、と感じる。TLSもそう。眼球の動きが止まればデッドエンド、とは必ずしも言い切れない。簡単にどこかにラインが引かれるものじゃない。*2


 このあたりの基本的な感覚を一度つかみそこねると、あとは議論がたちまち抽象化したり、極端な方向へと走っていってしまうんじゃないかと思う(「尊厳死OK?!OK!」とか「尊厳死絶対反対」とか)。


 そもそも、ALS者の日常生活を考える時に、「人工呼吸器の装着」や「TLS」という言葉に、ちょっと不自然なウェイトをかけすぎなのではないか(ベンチレーター使用者ネットワークは、ベンチレーターは生命維持装置ではなくメガネや補聴器や車椅子と同じような生活用具でしかない、というポジティヴなイメージを伝えていく啓蒙活動を行っている)。


 当事者や家族の実際の日常生活は、もう少し複雑で繊細な関係の網目の中で、あれも試しこれも試し、後退や前進や回り道や迷走やぐるぐるを積み重ねながら、ごちゃごちゃと進んでいくものだし、そういうイメージで考えた方が現実に即しているような気がする。*3
 ALS者とその家族に関われば関わるほど、「分かる」よりも「わからなく」なっていく、しかも自分が何かを「わかっている」のか「わかっていない」のかさえ「わからなく」なっていく、なっていった、と書いた。最初ぼくは、「この世で最も残酷な病気だと思う」「自分だったら耐えられない」と思い込んでいた。でも、その人を取り巻く数多くの人たちの関係の星座、家族やケアチームの関係の渦の中にごちゃごちゃと巻き込まれ、その人との間で介助や見守りの時間を積み重ねていく中で(ほんとは今では、ぼくの入る時間はその人は体を休める時間で、ほとんどその人はずっと寝ていることが多いんだけど、ぼくは人工呼吸器や経管栄養の眠気を誘う定期的リズムにひたすら耐え続けているだけだったり)、ぼくの思い込みは一つ一つ剥がされていった。正直、今のぼくも無数の思い込みにとらわれていると思う。


 今のぼくには「自分がALSだったら、という仮説のもとに想像力を働かせてみ」るという感覚はよくわからなくなっている。この指のストレッチの角度じゃ数ミリ足りないかなとかあっ今胃ろうから経管栄養を入れる時に何も言わずに入れてしまったけど不愉快じゃなかったかなとか今透明文字版をうまく読めた自信が正直ないけどもう一回読み直した方がいいのか読み直した方がもっと疲れていやなのかなとか、そういう小さな行為について「想像」する程度しかできない。
 いや、想像する、想像力を働かせる、という言い方は、今の自分には少し強すぎるように感じられるかな。


 ALS者においては意志伝達が超困難化しても、内面の意志の自律はほぼそのまま保たれる(と、推測される)。だから「自己決定」が大切だと言われる。正直を言えばぼくも、ALS療養者においてこそ自立生活モデルが大事なんじゃないか、選択肢から選択しうる介護状況や意志伝達機械を確保するのが大事なんじゃないか、とずっと思ってきた(アマルティア・センのケイパビリティアプローチはALS者にこそぴったりなんじゃないか、と思ってみたり)。現在の医療・介護のあり方ではほとんどが過酷な家族介護を強いられる事情があり、またALS者の特性いくつかのから少数の介護者に過剰な負担(テレパシー化/ブラックホール化)が強いられていく事情がある限り、JILなどの身体障害者たちが連綿と積み上げてきた自立生活プログラム(ILP, Independent Living Program)のような独自プログラムのALS分野への導入が早急に求められる(川口有美子+古和久幸[2006]『ALS療養者と介護者、双方の生活を支援する長時間滞在型介護/介助サービスの在り方に関する調査研究』)、ということはある。しかし、このぼくがそれを考えても良いと思っていたことの、残酷なほどの傲慢さと無知を率直に恥じる。*4


 ではあなたは尊厳死に賛成なのか反対なのか。
 正直、今のぼくにはその問いに答える十分な情報はない。知っておくべきことを知っていない。
 しかし、今回この文章を書いた以上、明確に答えないとダメだ、と思う。
 ぼくは尊厳死の法案化・プログラム化に反対する。
 しかし、「個別の」尊厳死に関しては賛成も反対もしない。というか、問いは逆だと思う。今の日本では法律的には積極的尊厳死を行うことはできない。しかし、実際は多くの人が事故のように自然のように死んでいる=殺されている。法案の行く末とは別に、尊厳死は常に既に起こっているし慈悲殺も生じている。人工呼吸器を付けないという消極的安楽死だけではない。明確に殺すのではなく、ゆっくりと栄養を減らされたり、衛生状態を悪くされて肺炎になったり。そんなことは関係者なら誰でも知っている。その事実をごまかす意味はない。それなのに、さらに法案化・プログラム化で水路を付けて、今以上に殺していくべきではない。もう、じゅうぶんだ。
 ぼくはそう思う。


 尊厳死について「中立」はありえない。そう言われる。「基本的に中立という立場は不可能でもあり、また正当でもないと考えることである。(略)生存を支持しそれを可能にする条件があるべきだという立場と、そうでない立場とがあって、その間のどちらでもない立場はない。ある状態の人が生きられる条件を設定するか、しないか、どちらかしかない」(立岩真也[2004]『ALS』371-374p)。それはそうだろう、と思う。
 「中立」は問いへの答えではなく回避でしかない。
 しかしぼくは思う。実際の生活の中で一つ一つ「わからなさ」を積み重ねていくことは「中立」と同じではないはずだ、と。
 高額医療・福祉の必要なひとが増えれば国がもたない。それはそうだ。――と、物分りのよい顔をすべきじゃない。それは経済学者や医療経済学者や役人の仕事だ。当事者や家族や支援者や医者やヘルパーが、真剣に考えるべき事柄ではない。この患者を本当に生かすべきなのかどうか、手術中にそう悩んだことはないかい? 別の医者からそう質問され、ブラックジャックは答える、「ヤクザのチャンバラですよ」と。「ムガムチュウで切りつけて、そんなことで悩んでいる余裕はありませんや」と(うろ覚えなので、細部は間違っているかも)。一つずつ決めるべきことを重ね、決定できないことで悩み、あきらめ、ふと思い直し、また悩み、死にたいと言い、生きたいと言い、死にたいのか生きたいのかわからないと言い、家族ばかりか本人にも自分の意志はよくわかんない、でもムガムチュウでやっていく、やれることもやれないこともぜんぶやっていく、そういうものなんだって思う。
 それはある意味で日本人的な?「なりなりてなりゆくままに」という「自然(じねん)」に近いのかもしれない。
 でも、安楽死尊厳死論者のいう「自然」、死ぬ権利/尊厳死に関する言説の流れを決定付けた1975年のカレン・クインラン事件の裁判の頃から延々と言われ続けてきた「自然死」「過剰な医療は避けて自然に死なせてあげてほしい」とは違うものとしての「自然」、ぐだぐだしてあいまいな生活の流れ方のすごさ、があるようなのだ、と今は思う。


 ある人から言われた。


 ――「杉田さん、それをALS者の自立と呼び給へ」。




【注】後日文意を変えない範囲で文章の推敲をしたり注をつけたりすると思います。ご容赦下さい。あと医学的用語・知識その他間違いがあればご指摘下さい。

*1:ちなみに、自分が4年前から勤めるヘルパー事業所は、もとは重症心身障害児者のファミリーサポートから始まっていて、重症児者の現実とALS者の現実は重なりあう部分も多く、しかし現時点ではまだ国内では積極的なネットワークはできていないらしく、この辺は今後少し自分も関わっていきたいところでもある

*2:『死ぬ権利』の香川知晶氏は、講演の中で次のようなエピソードを紹介した(第1回・難病と倫理研究会(2007年2月10日))。カレン裁判で家族は人工呼吸器を外すよう司法に訴える。詳しく言うと、カレンは成人していたから、父親である自分を娘の後見人として認めてほしい、そして後見人である自分が呼吸器を外してくれと言っても罪にならないことを確認してほしいと言った。第一審では父親の請求は退けられる。それでニュージャージー州最高裁に上告をする。判決は翌1976年の3月31日に出て、最高裁は父親ジョゼフを後見人として認める。カレンの呼吸器を外してもいい、という意味である。しかし、実際にカレンのレスピレーターが外された時どうなったか。大部分の人は呼吸器を外せばカレンは自発呼吸ができなくなってそのまま亡くなるだろう、と思っていた。しかし、外してみると、カレンは自力呼吸を始めている。世間の人々は驚いたという。実際には、医師たちが、カレンが自力呼吸ができるように訓練をしていたのである。いきなり外したのではなく、じょじょに外していった。病院のスタッフはカレンを死なさないように、という選択をしたのだ。カレンが実際に亡くなったのは1986年の6月13日のこと。死因は肺炎だった。

*3:たとえば医師の中島孝は、ALS者への病名告知と呼吸療法のインフォームドコンセントに関して、従来の「医学的な細かな情報の伝達や共有(と、それに基づく当事者の自己決定)」とは異質なモデルを示し、「ALSにおけるインフォームドコンセントは、ALSの医療サービスや治療内容を具体的に組み立て、患者を支えていけることを示すなかで、患者が治療法を選択しつつ、その医師に診療の権限が付託されていく過程と考えられる。(略)机上の治療モデルをただ、ALS患者に提示し、情報を開示し患者の選好として、自由に治療法を選択してもらうのはインフォームドコンセントとは言いがたい」と書く(中島[2006]「ALSにおける呼吸療法――総論」3p)。医師の権限を絶対化するのではなく、ケアミックスチームでの合議的手続きを通す限り、その独走には一定の歯止めがかかる。看護師やヘルパーの独走に関しても同じだ。そして本人も。本人の自己決定でも周囲の介入(パターナリズム)でもない。そこでは本人の意志は最大に尊重されるが絶対化はされない。

*4:なお川口+古和[2006]は、ALS者の「自立」を「医療技術や器械、人的資源を有効に使用した結果、介助・介護者に対して的確な指示ができ、その結果として身体が動かなくても不快感や不安感が、可能な限り取り除かれ、社会や家族の一員として尊重された地域生活が送れること」と定義する。